・
今日でお酒を飲まなくなって1年が経ちました
おめでとう私自分の足を地につけて
来る日も来る日も新鮮な目で世界を見ていたくって
じっと「ここ」に居続けました
ありがとう私
お酒のことは以前も少し書きましたが
もともと量も機会も年々減っていて
【お酒のこと】
最後にお酒を飲んだのは留学の2週間前 2016 / 8 / 24 でした前なら、いつもどこでも 何かをしていないと気のすまない気質で楽しいことや刺激的なことが大好きでした
計画するのも実行するのも大好きなピッタ × ヴァータがたっぷりな状態です
(純粋に楽しめているときは良いんです、結果やこだわりに執着さえしていなければ)
お酒に限らず、他にもやめたことがあります
・移動中にイヤホンをしない、(イヤホンを持ち歩かない)
・休日は携帯を持ち歩かない、
・遅い時間に騒がしいところに行かない、
・毎日ファンデーションを塗ることをやめる、
・コンビニ食品や加工食品を食べない、
・着れる服があるのに新しい洋服を買わない、
これはほんとうに人生の「冒険」でもありました
「あなたの慣れている殻から出て
外側をきちんと感じること」
Hale Pule
けど、しないことが増えれば その分自由が広がるって、ほんとうでした
上記の事柄は「しちゃいけない」ではなくて「もっと自由に時間と意思を使いたい」という気持ちから手放していきます
・早朝に散歩をする、
・アサナやメディテーションに時間を費やす、
・サットヴァな食材をもとめて買出しに出かける、
・自宅のキッチンで自炊する、
・夜空と月に会いに散歩に出る、
・読み物や書き物に思いをはせる、‥
この「内なる冒険」こそが自分を癒すのには最も適した方法でした
それは私にとっての最高な自由の空間です
外的要素に頼らず自分に留まるようになると感度が高まっていくのを実感します
自然と心も体も調和に落ち着くようになります
何でもないことへ気づく瞬間が増えて、幸福感を広く深く感じれるようになります(例えば、彼と喧嘩をすることがあってもその時の向き合い方や解釈が変わり、新たな関係性を築く…というように)
昔からの知人には私はすっかり変わったといわれますがそうかもしれませんし
そうではないかもしれません(私にとっては子どもの頃に戻ったような気分です)
話を少し戻して‥
お酒の味がとても美味しい、っていうお洒落な舌をもっていない私にとって、
アルコールの摂取がもたらすことは「蓄積してきた光を飛ばしてしまう」以外に
何の作用もないように思います
少なくとも今の私にとっては、です
年を重ねていって、ゆるくお酒を楽しめるようになるかも、?(けど想像してみたら片手に持っているのはチャイティーだった)
なんだかすっきりするし
楽しい気分になる
気持ちがラクになってストレス解消、‥
昔はそういう理由でよくお酒を飲む場にいましたが(何なら毎日)、「急に」良くなるものは同様にして急に切れることを、私はそこで学びました
アルコールは「開放」してくれます
そして内側に向かう精神も集中力も慈悲的な心も、すべて飛ばしてしまいます
翌朝に残るのは
浮腫みと未消化物と低下した知覚、思考力です
今は、もしいやなことがあってもその意味を味わってむしろ楽しんでみたり、
必要ならば自らの心の目できちんとそれを見つめてみる
(それも人生だし、投げやりになったり誰かにおすそ分けする必要はない)
疲れてるときこそ静かに、やさしい食事をとって早く眠りにつくことがいちばんの贅沢ということも知りました(自分を労わってね、というサインだから)
朝目覚めたときからたのしい瞬間は目の前にたくさんあって
よろこべる出来事もあふれるほどやってきます
それらを感じれるよう心の窓をいつもオープンにしておきたいです
(難しいと思うときは時々半閉じにしているかも知れないけど)
朝カーテンを開ける、
陽を浴びる、
つくった白湯をすすって、
静かにアサナをする‥
静寂をたのしむことで創造する楽しさを味わう
この繰り返しを体験できる毎日はとても素晴らしいなと思います
日々を楽しむために心と体に余白を残しておきたいというのが今の私の考えです
この1年間が
これまでの人生で一番
大冒険だったかもしれない
私にとってはこれまで蓄積されたきた記憶と習慣を一度見直す必要がありました
それが、この一年間で毎日行われてきた感覚です(今後も続いていくだろうけど)
人は 3 歳までの環境や経験で食の価値観も人生の見方も、ほとんどが形成されます
なのでこの作業は容易ではありません
頭で分かってはいても、“慣れているほう”に向かいたくなって
それがよい結果を招かないと知っていてもなおしがみつこうとするものです
困ってしまいますね
でもだからこそ「人生」というギフトが与えられているんだと思います
「認める」「ゆるす」「手放す」
これにはたっぷりの時間と余白が必要です
本来の自分に還る、というとてもシンプルで重要なプロセスをこの 1 年、私は静かに続けています
これからも続けていきます
何かを「したい」と思うとき、
それが“過去の執着”からきているのか
はたまた“利己的な理由”で考え付いたのか‥?
いちいち心で点検したりします
未熟な私にとってはそういうところから始まります
純粋な動機からくる言動はするするとアウトプットされていくのに、
どうしてもそうでないものも頭や心の中へとやってきます
そういうときは「うーん」と考え込みます‥
「これまでの繰り返しを続ける?」「新たに一歩外へ出てみる?」・・
ハワイカウアイ島での一ヶ月間は
ほんとうに自分にやさしく過ごせた時間でした
その感じ方も変化も、とにかく過去とは著しかった
体も心もすっかりリセットされてすべてが入れ替わったという感覚
マイラは「今後の人生でしみこませていく時間が必要です」と私を含む生徒たち全員へ伝えてくれました
本当にそうでした
誰も代わってはくれない道のり
アーユルヴェーダもヨガも自分の中に過度な執着や過去のしきたりがあっては
深めていくことは難しいとわかりました
自分の考えはすべてさっぱり間違っているんだわ!と思えるくらい、ひっくり返ってみることもときには必要だったりします(ひっくり返りすぎはヴァータ・ピッタを乱すのでほどよくですが)
アーユルヴェーダを淡々と深めていく過程で自分の心と体の声を真剣な目でみれるようになって
アサナの実践から体の可動域や自分の生命力、いまの「人生に対する姿勢」と向き合っていきます
これまでの私の人生はそれと真逆でしたが、
(以前から私を知っている人が一番よくわかるかな)
これまでのすべての出逢い、物事が私をアーユルヴェーダやヨガと引き合わせてくれたのだと今ならわかります
自分自身として生きることのよろこびをようやく人並みに感じれるようになったのかもしれません
これまでのつながりや新しい出逢いに、これほどわくわくして愛を感じているのは初めてです
Hale Pule にて体験談を掲載いただきました
Ayurveda お料理教室では
体と心にバランスをもたらす
シンプルなアーユルヴェーダレシピを
・季節の要素に沿った食事内容の調理 / 実食 4 – 5 品
・アーユルヴェーダの滋養食「キッチャリー」ほか副菜 2 – 3 品
Ayurveda Holistic 基礎講座では
アーユルヴェーダの基礎理念を
「調理編」と「講義編」の両面から紐解き、
自身の暮らしの中で実際にどのように
取り込めるかを学んでいただけます