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突然ですが、
皆さんにとって生きることとは何ですか?
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私は、生きることとは
「自分の役割を知り、全うすること」だと感じています。
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自分の役割に気づくとき、
人は人生での
日々の行いこそが「とっておきのギフト」であることに気づくでしょう。
そこには、苦楽も超越した、魂レベルでの経験があるだけです。
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私たちは、
何か、誰かの話で “ 気づいた ” ら、
今度は自分の毎日に “ 気づく ” ことが求められます。
毎日他人のエネルギーを詰め込んでばかりいては
自分自身の人生に存在することができないからです。
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人生、死ぬまで共にするのは他でもない “ 自分自身 ” です。
他人と自分を分離させるのではなく、
自分自身の土台を築いたうえで他人や物事との関係性を結ぶことが大切です。
この “ 土台 ” があるのと ないのとでは人生はまるで違ったものになります。
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私たちは自分自身を通して 他者を理解します
自分自身の経験と感度を通して 他者と一つになって生きます。
一つになって生きることとは
いつも一緒に過ごし くっついていることだけではありません。
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互いの色を尊重し、
個性を認めるとき、
私たちは進んでお互いの道を歩み
別々の場所に居ても
実は一つの中に生きているのだと気づきます
私たちは「孤独」を恐れますが
人は皆 本来 孤独な生き物です。
孤独のなかでも生きられる人が 真の歓びをも亭受します。
考えてみれば分かることですが、
自立した母親は 子どもの成長を後押ししてやることができますが
何かに対し強い依存心のある母親では 自分も子どもも苦しむことになります。
父親にも同様な事がいえます。
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私たちは命との繋がり合いのなかで生きていくとき、
自分自身が自分の命、生命、人生としっかり結びついていることが求められます。
私たちは孤独から逃れようとすればするほど、
真の幸福からも遠ざかるでしょう。
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今日ここで、今をで生きてください
とヨガが云うのは
自分のエネルギーを“正しく”使うことを促しているのだと思います
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それはある場面において言えば
余計な心配をしないことであり、
欲望に打ち勝つ力であり、
渇望するエゴを切り離す勇気であるのです。
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自分の才能も不完全さをも認めて
今日ここに起きることにベストを尽くすことです。
それが日々実践できるとき、
私たちはそれを他者にも同様に感じれらるようになります。
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過剰な期待と心配、
これらのフィルターは私たちを取り巻くすべてを歪ませるだけで
互いに何ら良い作用をもたらしません。
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自分を通して他者を、
そして世界を信頼することから始めましょう。
私たちは生きてる時点で 誰かの力によって助けられています。
助けてほしいと願い、嘆き、待つことよりも
助けれる自分で居て、立ち、包み込もうではありませんか。
私たちにできる最善のことは
自分をケアし、エネルギーを守ることです。
そのような状態が維持されたとき、
本来の「自分の役割」が見えます。
混乱しているとき、
迷うとき、
隣に見える何かを渇望するとき、
自分の持ち物に気づかないとき、
自分の命の声を無視するとき、
私たちが自分の役割に気づくことは難しいのです。
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日々の行いから
それらがなるべく怒らないようにすることは大いに可能です。
また上記のようなことが起ころうとも
早くに回復し、
自分のペース・土台へと戻していけるようになります。
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アーユルヴェーダの原理を通して
自分の暮らしに根を下ろし、
食事と生活全体に調和がもたらされたとき、
生きることが何であるかが明瞭になります。
体が整い、
心にも心地よくいられる時間が増すと
私たちは自分の才能にも気づくことができます。
それは自分自身への居心地の良さであり、
外界や他者に期待するものではないからです。
自分の世界に平和が築けることは
最も至福なフィールドに立つことの前提です。
自分自身との平和が築けたのなら、
自分の【進む道】がどこにあり、
自分に【与えられている恵み】が何であるかも安易に直視できるようになります。
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大切な基盤はすべて
「自分自身の暮らしの中」にあります
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アーユルヴェーダ省察プラクティショナー
K a o r i