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生 き る ほ ど に ラ ク に な る

Ananda は、

アーユルヴェーダの知恵から

「生きるほどにラクになる」
ための原理原則を実践する場です

ここへ来る人が内なる歓びと出逢い、

ここを去ってからも日々
歓喜と繋がれますように

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五 感 で 実 践
Ayurveda practice

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Ayurverda Lunch
/ 出来立てのアーユルヴェーダランチ

1 Day Cooking Class
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お料理教室・キッチャリーづくり

1 Day Ayurveda WS
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アーユルヴェーダワークショップ

5 Days Practice
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Ayurveda Holistic 基礎講座

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常 に 根 付 く
ア ー ユ ル ヴ ェ ー ダ

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Ayurveda Letter
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本質的に起こる体質改善記録

Ayurveda & Yoga Diary
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備忘録・ブログ記事

 

生 き る ほ ど に ラ ク に な る

ア ー ユ ル ヴ ェ ー ダ … ?  ヨ ガ … ?

 

苦悩や痛み、
恐れがまったくない世界があるでしょうか

私たちの真の成長は、そのなかで起こります

私たちは、それをどう認識し、対処するかで

「人間らしく生きる」か

「死んだように生きるか」に分かれます

解釈、思考、感情は

様々な事柄の反映と蓄積に過ぎません

私たちは本来、

本質を司り優雅に生きる力を持っています

アーユルヴェーダでは、

健全な身体と心へはオージャスが宿るとし、

そのような人体は

とても生きやすい(生きる力がある)ことを表します

* 西洋的には「免疫力」や「代謝能力」といいます

現代では、多くの人が

オージャスを欠いたままに
日常を過ごしています

オージャスが欠いた状態の人々が創るのは、

循環性のある – 持続可能な世界でなく

効率的で仕組化された社会の形です

私たちはそのなかへ身を投じ、

結果として

“ 長期的には ” 心地よいと思わないのに、

“ 仕方なく ” そこで生きることを続けます

 

歓びのない人生は意味がない、

アーユルヴェーダはそう云います

楽しい、嬉しい、幸せだけがある

= 歓びのある人生、

という意味ではなく

苦境に立った際にも生き抜ける力、

生気、知性、慈悲、‥

普遍的な物事の在るさまをそのままに

美しいと感じれる直観を有すことこそが

歓び – 歓喜のある人生です

元気になりましょう、身体も心も。

話はすべて、それからです


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K a o r i
Kaori プロフィールはこちら

「自分を生きる」という過不足のなさ

私は今、東京の真ん中に暮らしつつも自身の調和を築けるようになりました。(自然豊かな田舎の実家に暮らしていた頃よりもはるかに今の方が健康です)
慢性的に生じていた不調や痛みはほとんどなくなり、それらに力を奪われる代わりに、違うことへ自分の命を当てがえるようになりました。
・人生とは、やるべきこととやらなくて良いことのバランスを見出すこと _ 、昔何かの本でそう読んだことがありますが、それに加え今の私は、〝生産的〟な態度とともに過ごせる日々が続いています。自分の人生が今、ここで過不足なく展開しているという実感があります。
自分のしたいこととそうでないこと、また人間として、した方が良いこととしなくて良いこと。この認識も安易にかなっていく過程のなか「一つの命」として自身を楽しめるようになったともいえます。
ヨガの云う身体の扱い方 – 心との繋がり方、アーユルヴェーダが知らせる – 日々自分らしく生きるという知恵が、今後も私の人生の基盤に在り続けることは変わりありません。

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溺れることは、簡単だった

今思えば、心身の発達が十分でないままに色んなことへ体当たりしすぎていたのかなとも振り返ることができます。総じて自分の人生ですが、時にそれは決して心地よいものではなく、慢性的な痛みや無気力感に襲われることが普通でした。
すると、もともと万全でない心身にとって犠牲は大きく、補うのに必要な免疫も乏しい。常に安易かつ短絡的な解決法に頼り、快楽への行動に走り、結果溺れるように生きている期間もありました。昔から私を知る人はその全貌を目撃していますが、ドーシャ(体質)が乱れていてグナ(心の質)も散漫にあるとき、日々選択の幅はとても狭く、機械的な動機のもとでそれをしたと思います。甘いものをバックに常備して暇さえあれば食べる、お酒を好きなだけ飲んで好きなだけ食べる、合間 2 – 3 時間の睡眠だけで連日乗り切る、…など。
機能不全な身体が引き起こす動機 – 行為は一定期間それ通りにしかならず、結局は本当に痛い目を見たとき、これ以上ないくらいほど心身が疲弊しきったときになって、ようやく私は「生きること」のリセットを望んだのでした

もっと、自由に愛し合いたくて

自分の人生で成し得たいことは、愛する人と自由に愛し合えることでした 。
このことに対して、心からYESといえるのには時間がかかりましたがやはり私も一人間としての幸福、普遍的な愛に繋がりたい、そう思いました。

身体がラクになって心が少しずつ自由になったとき、感知できることの幅が広くなることで、愛し合いたいと願う関係性が、直に深まり広がる。‥そのことを身をもって体感しています。健康であることは、愛です。
これまでは身心の不健全さから固定概念や執着、思い込みが強くあらゆる摩擦により自分で自分に疲弊してしまっていたように思います。身体が苦しいと、

アーユルヴェーダやヨガの知恵は、その人自身の人生の色 – 形を明らかにする手段の一つです。

人によって人生が明らかになる手立ては仕事であったり、またはその他の何かだということもあります。
私自身はアーユルヴェーダやヨガに出逢うこと = 体と心の健やかさを回復・増進させるという意味で、より良く、自分らしく、簡潔的に生きていけるようになったことから人生を経験しきることの真骨頂がそこにはあると感じます。


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