プラクティスで大切にしていること

私たちの可能性、
本来の姿でできることは無尽蔵にあると私は信じています。

私たちは「急に」は、
そう在ることはないかもしれない、し、そうでもないかも知れない。

私たちは「急に」は重い病気になることはありません。

病気、その他不調や乱れが生じるのは、その時々での「バランスが偏りを見せていること」があり、これには一個人という枠でなくもっと広く総体的な視野からそれが起こることがあります。

一方で、「一個人」の規模感でそれが〝生じ〟ることで蓄積し、乱れや不調として表面化することも多くあります。

著しくない健康状態は、本人が身体と心への対処法を「見逃している」か「見過ごしている」か、です。

全く気づかないうちに重い病気になることはなく、それまでの間でサインを「見逃して」いるか、
サインが現れていてもどうして良いか分からずに「見過ごして」いるか、ということです。

心の状態は、必ず身体に現れます。


アーユルヴェーダ省察プラクティショナーとして、
現在アーユルヴェーダの食事学や生活様式について、そして身体と心、意識と心について日々あれこれお伝えさせていただいてます。

プラクティスへお越しいただく方からは、普段の食事や習慣、身体のことなど様々ご質問や相談が持ち寄られます。

私がこれらにお答えする際、アーユルヴェーダの原則に基づきあらゆる角度からその方の状況に応じてお話をさせていただくのですが、敢えて明確には答えないこともあります。

アーユルヴェーダは、確かに、その原因と結果についてを照らし出します。

すべては自然由来の原則に沿って起こることなので、私たちにもそれが起きています。

しかしだからといって、私たちはその「答え」を単に引き出し正解か不正解か、という視点からそれらを捉えるのでは、あらゆる意味で「不十分」な場合があると私は感じています。

「◯◯ というものがあって、それを信じてやってみたんです。どう思いますか?」という Q が投げられた場合、それをやってみてまず自分がどう感じたのか?を自分自身で省みることが大切なのです。

ですので、
私は「その時にどう感じましたか?」とお聞きすることがあります。

それを信じた理由、
やってみたらどう感じて、
そして今どう感じるか。

現代社会に生きる私たちは、ときに「正解」か「不正解」かを早くにハッキリさせたがる傾向にあり、いつも「答え」から反れてはいけないと脳が育成されている側面があります。

「これをしたら効果が現れるか?」と追い立てられるようにその手段に飛び付くとき、どうしてそのような心理に至ったかを冷静に見つめることの方が、根本的な〝正解〟にたどり着くことがあります。

自分自身がどう感じるか?
自分自身でなにを選ぶか?

自分で〝感じ〟て、
自分で〝選ぶ〟ようになれることが、真の健やかさです。

その1つのキッカケとして、アーユルヴェーダの知恵に触れることは大変有益です。

・五感で学ぶ Ayurveda Holistic 基礎講座
・五感で味わう Ayurveda お料理教室 / キッチャリーづくり / Lunch 会
・自分のペースで学ぶ One – Line アーユルヴェーダ講座


K a o r i

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