「 人 生 は い つ だ っ て 生 放 送 」
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このところ
日常で何度かそんな話をしていました。
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このフィーリングが過ぎ去る前に、
文章としても書き留めておきます。
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以前から話す機会を温めていた(?)
「 King Gnu 常田さんと会えた 」話と絡めて綴ります。
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まずもって「 行動すれば ( しない、という行動も含めて ) それ相応の結果が必ず伴う 」 という側面から思うと、
あらゆる物事のそれはたいていは結果論として語られるだけであって、
本質を共有するならば、
その〝 原点 ( 要因 ) 〟に焦点を当てるほうがよいだろうと私は常々思っています。
ので、以下余談のような本題を連ねていきます。
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アーユルヴェーダの視点で
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ピッタが的確に働くとき
そこへは〝 テジャス 〟も展開しています。
ピッタの長所( 真髄 )にあるテジャスは
= 閃きやそれに伴う知性を発揮します。
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短所にも触れておくと、
適切に扱えれば功を奏すはずの〝 鋭さ 〟が
何らかの歪みによって錆びつくこと、
またあらぬ方向にふり回された場合に
独裁的かつ全容を省みないような
無謀な行動に打って出たり、
それによって自分ないしは他者や何かが
傷つき、打ちのめされ、
燃え尽きるといった事態が生じます。
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アーユルヴェーダを知りながら
身体と心の観察に始まり、
そこにバランスをもたらす工夫を施すことが常になると、
それに呼応してテジャスの出番が増えます。
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日常的なことで云うと
安定的な消化力・免疫力から高い集中力や気分の安定、
意識的かつ有意義な活動や休息へと結びつきます。
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King Gnu
millennium parade
常田大希さんに会えた話
― 下 部 へ 当 日 の 行 動 時 系 列 を 記 載 ―
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今年のまだ寒かった頃、
思いがけず & 思い( め )がけて
常田大希さんという、
現在音楽家として活躍されている方と
真近でお会いできる機会がありました。
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大希さんは
大きな希望を持ってこの世に生まれた人。
だなぁ、ということを感じましたし、
今、このような人がいち音楽家として
創造的であるうえでかなりの熱量をもって、
同志ともいえる仲間とのセッション ( 音楽 ) を
ここまで本気で取り組み
そして愉しんで、精力を注いで
制作に打ち込んでいる理由や背景なんかが、
実際にお会いできたことで
その後じわじわと沁みて、心に届いています。
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会えて良かったなと、
思い返すたびにそのことに気づいています。
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そこで思いがけず評価とこの先のご縁をいただく機会があり、
‥あぁ、
自分という人間はこういうことも楽しめるのか、
楽しんでいいのか、
と
人生の形へ新たな余白のような、
希望のようなものを感じたのでした。
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人生の歓びは自分の想っている以上に
実はまだまだ、ある。
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その知覚はそのままに私に根付き、
>> 人それぞれの役割って何だろう?
>> 長所や短所って、どう機能させるべきなんだろう?
と考えを巡らせることにもなりました。
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アーユルヴェーダの学び × 自ら & 他の人々に伝えれることは何だろう?
ともなりました。
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そしてそれは
〝 考える 〟までもないことを
私ははっきり思い出し、知り、
日々のなかで味わようにもなりました。
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思えば
音楽を聴いたりそれに触れるような機会は
20 歳過ぎをピークにだんだんと減り、
むしろ音楽自体を
それまでは〝 逃避 〟や〝 興奮剤 〟として
ただ一方的に、
無碍に消費していたに過ぎなかったことも気づきました。
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もっと前の幼少期、
音に触れて歓んだ記憶では
もっと〝 ピュア 〟なものだったろうと思うけれど。
成長するにつれて音楽( 人生全体 )には
乱暴で失礼な態度を取っていました。
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五感を鎮静する習慣や暮らしが
私的スタンダードになっていき、
2016 ~ 2019 の間で
私はほぼ〝 music virgin 〟になっていました。
イヤフォンは当たり前にしないし 、
TV でも携帯でも音楽情報に触れることはない 、
YouTube もラジオ体操を再生するくらいで。
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それでも半年に一度のカラオケ(もちろん昼間)時間は
私の趣味の一つとして残っていて、
その度に久しぶりに音を聴き、
それに乗る時間は五感が歓んでいました。
久しぶりに音に触れるたびに新鮮な気持ちが湧き起こり、
音のもたらす全容的な歓びや
あるいは感情や事象の統合を心で目の当たりにしました。
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アーユルヴェーダの教えから
日常的にアグニケアを進めていたおかげで
声の出が明らかに良くなっていて、
一定の感情の浄化や
その他の経験も深まっていった矢先では
確かに、ゆっくりと、
新たな感度から音楽を求め、歌う自分がそこにはいて。
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そんな最中たまたま耳に入ったのが
「 King Gnu 」の音楽でした。
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その昔もっとピュアな頃
夢中になって触れていた音楽
― 1990 年代を思わせるサウンドがすべてといっていいほど詰まっていて、
それでいて一曲一曲が独立して完全性を帯びていて、
どれも違って、どれも良い。
とにかく良い。
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音とコンセプトとそのすべての純度に五感を打たれ、
なんだかとても感激してしまったのです。
そうしてみるみるうちに魅了され、
俗に言う〝 沼 〟にハマりました。
( 一時的に )
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とりわけ常田さんの超職人的気質を感じてしまったし、
( それに伴う他メンバーのポテンシャルや人間性にも感動 )
当時アーユルヴェーダのコンテンツを
ゼロから一人で作ることに没頭していた自分にとっては
ただただその姿勢に感心し、
脱帽し、
救われたような気持ちだったのかもしれないです。
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今のこの時代にそうした形・音を追求し
全身全霊で創り上げ、届けていることに
素直に感謝したい気持ちにさえなりました。
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・・・ほどなくして
常田さんが活動するもう一つの場
〝 millennium parade 〟のアルバムリリースに伴い
「 明日 CD ショップ巡りします 」
との知らせを目にしました。
・ ・ ・ ?
・ ・ ・ !
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と、い、う、こ、と、は
CD ショップへ行けば、会える。
ということ
・ ・ ・ !
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私は常田さんのつくる CD も
ライヴチケットも買ったことがありません。
きっと今後も買うことはないだろうと思います。
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ただ YouTube で流れる音楽を聴いては
そのたびに感激し、
食い入るように観、聴き、はしゃいでいるだけの人ですが、
この感謝の念、感激の念のリリースというか
その力に少しでも触れられるのなら、と
これは、行くほかない
ということは考えるまでもなく決意していました。
( 会えるかは分からないのに、会えると勝手に確信して )
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どのみち、後にも先にも
きっとこのような機会と
自分の気持ちとがここまで重なり合うことはないだろうと
〝 CD ショップ巡り 〟に賭けたのです。
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ピッタ気質がある私にとって
〝 自分に必要なこと 〟
は直ぐに分かる。し、それにウソがつけない
& できる限りのことはやらないと
そうしないと気が済まないのですね。苦笑
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しかしこの時の動機は
100 % サットヴァに由来するものでした。
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当時の私と、その未来の私とに必要な投資だったわけです。
( 現在進行形で )
・・・そうしたあらゆる動機や
行為への純度を高めるために
日々アーユルヴェーダを取り入れ実践してきたといっても過言ではないので。
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とはいっても
「明日 CD ショップ巡りします」のメッセージのほか
有力な手掛かりが – そのツールが何一つない私。
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頼みのツナは
自らの〝 テジャス 〟( 知性・直感・閃き )のみでした。
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〝 とりあえず渋谷タワレコかな 〟
〝 多分 15 : 00 ~ 16 : 00 頃かな 〟
と、当日この予測が見事ジャストマッチしたことは
自分やこの世界そのものを誇れる理由を増やしたのでした。
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心の声:
( ピッタ・テジャスさまさまだ )
( 私やるう!!すごいぞ私!!)
( 神様ありがとう!みんなありがとう!)
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当日の朝の話をすると、
私は身支度をしながら再度
〝 この行動をもって私は何を成すだろうか 〟と心へ問いました。
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_ なぜそれをするのか?
_ なぜそれをしたいのか?
このことについて考えるのはもはや習慣になっています。
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目的を明らかにしたり
意味を定めることによって
行為のゼロからジュウまでを自らの経験に変換することができるからです。
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常田さんに会うことは、
私にとって
〝 ありがとう 〟と〝 約束 〟の意味がありました。
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・全エネルギーを費やして音楽を、
生きることを、その命を届けてくれてありがとう
・少しでもその姿勢が直接見れるものなら、
自分との約束を果たす一つの先んじた動機にしよう
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私のなかで時折顔を出す
〝 自分を生きるための他力本願 〟が
常田さんのような〝 生きている 〟人と会うことで
会えた自分
= エネルギーを交わした自分が成せることに興味を抱いていることも含めて。
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2016 年 Hale Pule ヨガ留学時も
その場へ行くまでは考えてもみなかったことが、
マイラに会ったことで、
実際にエネルギーを交わしたことで、
1 ヶ月後にはまるで動機や行動が変わり、
自らは予定していなかった〝 ヨガクラス 〟や
〝 お料理教室 〟が始まったのです。
とにかく自分の本能に従って行動した先には
次の行動がついてくることを
私のなかの私は知っていたのでしょう。
私にとって
誰かと会うこと – 話すこと
= 真正面からエネルギーを交わすこと。
【 直接会うこと 】
このこと以上にコミットメントに至る強力なツールを
私は過去体感したことがないです。
時代のながれもあり
今は SNS を通じての貴重な縁もあるのは事実ですが。
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〝 どう 〟その場に存在するかで 人生へ残る印象が左右される |
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経験上、良くも悪くも
そのことを痛いほどわかっているので、
常田さんと会えた当日は
朝一から待ち時間 ~ 去り際を見届けるまで
全神経を集約し
_そう、
まるでプラクティス開催時と変わりなく
自分自身にとって直接的体験をすると決めていました。
( ※ 大袈裟ですが本人は真剣です )
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[ 時系列 ] ① PC 等作業具一式持って朝一に渋谷到着、タワレコ付近のカフェで仕事しておく ② 昼前、なんだかソワソワしてタワレコ前に行ってみる ③ なんと、もうわさわさと人だかりが出来ている( 11 : 30 頃 ) ④ 絶対昼食は抜けない自分が昼食スキップ、そのまま待ち構え出す ⑤ すでに人だかりができていた関係で立ち並び始めた位置がドアの真正面。寒い。全開のため風がダイレクトに当たる。極寒。ヴァータ上昇。 ⑥ ( 待機中の行い ↓ ) ⑦ 4 時間程経過して 16 : 00 前。常田さんタワレコへ登場。 人生で初めて〝 黄色い声 (キャ――――!)〟とともに人が登場する瞬間を見た。( 私は無言。兼ねてよりアーユルヴェーダライフのおかげで一切浮足立つことなし。目的遂行のために全意識集中。・・・) ⑧ 店内ブースにサイン、退店して車に戻る常田さん。 ⑨ 動画 & 写真 撮影 OK ! 最後退場時に乗車している常田さんの目の前で立っていた私。 ⑩ 去っていく車をグラウンディングしたまま心で見送る |
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⑥ 待機中の行いはどれもヨガ・アーユルヴェーダと出逢う前から習慣づいた一つのエグジスタンス( 存在 )手段です。( カリキュラムでいうと Ayurveda Life 講座内にこれを落とし込んでいます )
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少々大袈裟な話かもしれないですが、
この時の私にとってはすごく重要な出来事で
そのおかげでその後のすべて – 今のスタンスがあります。
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そしてすべてはこの命のおかげで、
アーユルヴェーダの教えと実践のおかげで、
自然界にある原理原則 – テジャスのおかげでした。
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これからもまた、感じるままに
必要なことを必要なだけやって
その時がきたら手放して、
また次へと進んでいきたいと、
心に決めた一つのキッカケになりました。
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居場所はいつも自分が居るところに産まれる。
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・ 人 生 に は 、何 ら 意 味 が な い か も し れ な い け れ ど 、 私 た ち は 、大 い な る〝 何か 〟の 以 前 に Ananda TOP メッセージより |
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常田さん、その節は本当にありがとうございました。
また、会える日まで。
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いつも適当な時機に、適切な出来事へ導きそれらを照らし続けてくれているすべてに感謝します。
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アーユルヴェーダ省察プラクティショナー
K a o r i