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「 大切な人と別れることになったらどうしますか 」
「なぜ」別れるのでしょうか?
「死の別れ」でしょうか?
「今ある関係の別れ」でしょうか?
「すでに」別れているのでしょうか?
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関係性は常に変化しています。
「死」という普遍的な別れは必ずやってきますし、自分自身もいつか必ず死にます。
それ以前にやってくる〝別れ〟つまり生きた者同士の別れ、「恋人 / 夫婦間の別れ」の場合について個人的な解釈 – 経験に基づいてお話します。
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本当に大切な人なら、本当に自分と相手とが共に生きるのに相応しければ、別れぬよう前もってできることがあるはずです。
何か物理的に別れなければならない場合には、仕方のないこともあるかもしれません。
自分にとって相手が本当に大切な人なら、相手にとっても自分が本当に大切な人であるはずです。
一緒に居れるよう、お互いが関係性に尽くし、生きるとき、二人が共に生きるのは自然なことになります。
「別れる」ことになるのなら、それが二人の結果であり、人生だと思います。
お互いの魂の行き先が違うとき、ともに歩むことが伝実的でなくなったとき、もしそうなって「別れる」のならその事実を互いのために受け入れ、認め、その後の毎日をもっと大切にしよう
と私なら思うとおもいます
( きっと長らくしっかり落ち込んだ後で )
私がヨガの匠から関係性について学んだとき、
「相手に尽くす、というのは良いやり方ではない。それでは長く続かない。」
「関係性に尽くすこと」
という言葉がありました。
関係性は毎日、一日ずつ段階を経て創り上げられていくものです。
自分の人生を、命を大事にして、相手の人生もありのままで愛せるとき、大切な人同士、生涯ともに過ごせるのだと思います。
互いに必要だったから 一緒に過ごし、共に居ると良いことが増えていって、気がついたら 一緒に居るのは当たり前で、あぁ、もう90歳ね、みたいなことなんでしょう。
正直、私は本当に大切な人と出逢ったと思えたなら何が何でも諦めてはいけないと思うんです。
( 自分が相手を愛することを&自分が相手から愛される人になることを )
そうではなくて、大切な人だと思っていてでも時間が経ってから実はあんまり、そうでもなかったんだわ と思うならさっさと終わりにして良いと思います。
特に、精神が未熟なとき、健やかでないときに始まる恋は一種の“ 同情 ”や“ 依存 ”から“ 強烈に好き ”と思い込むことがあるからです。
すると時間が経つとゆるやかに“ あぁ、夢見てたんだな ”とハッとすることがあります。
自分が成長し、それでも相手が成長していないと感じるならムリに一緒に居る必要はないと思います。
しかし、人間関係は鏡ですから、一人が真摯に生きていれば少なからず隣の人も感化されるはず。
本当に大切な人、本当に愛したい、愛していると思えた人を「愛し抜く」には、その愛を抱いた自分自身を信じ続けられるかということも関わってきます。
自分の誠実さの有無が、継続的な愛の有無に直結するからです。
自分のことが信じれないと愛は続かず、一緒に居ても 二人の間には冷たい空気が流れます。
だからこそ、結局のところ自分の心が関係性をつくっているということ。
共に生きる日々でお互いが「自分の弱さ」も受け入れ、「自分の勇気と愛」を信じ、生き続ける。
日常で磨き続ける・・・そうして二人の間に強さと安定のある関係が築かれるのではないでしょうか。
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私は前に、彼から本気で別れを告げられたことがあります。
それを突き付けられたとき、自分が古い自分の記憶に負けていてなおこの場に及んでもそれに強くこだわっていることに気づきました。
ただ無力で無知で、自分の情けなさに打ちひしがれ消えたい想いでした。
そこに居たのは、幼い頃 “甘えたい” という感情を必死に抑えて代わりに強い怒りを抱えたままの置いてきぼりにされていた私でした。
見たくもない自分の残像を目の当たりにして心底参ってしまって、そのときは力ない状態に陥りましたが、それでも今大切な人と一緒に居られるのは、その時にその自分を「受け入れよう」と思えたからです。
長くなりましたが
「大切な人と別れることになったらどうしますか」の私なりの答えは
・物理的にやむを得ない場合には時間をかけてでも受け入れ、学ぶ
・大切な人と大切な関係で居続けるために自分の人生を、毎日を大切に生きる
です。
アーユルヴェーダ省察プラクティショナー
k a o r i