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“ 足りない ”
そう 心が錯覚していると、
どれだけ詰め込んでも満足することはありません
私たちは、
自分が愛されているという感覚、
誰もが地球上の有益なギフトである事実を
充分に感じられないままでいると
ときにあらぬ行動に走ることがあります
「 自分は愛されている 」
頭でそう理解していても、
心からそれを感じれている人は少ない
匠がそのようにいったとき
私は確かにそうだと思いました
それは、私自身がそうであったのです
愛されているということへの真の理解
3 歳までの環境と
8 歳までの人間関係で
「充分に」愛されている感覚を感じれていないと
それを引きずりながら生きていく人は多くいます
たとえ自分では無意識であっても、
それが見られる場面が様々あります
・ご褒美やご馳走がないと台無しに感じる
・食べ物も洋服もお金も多ければ多いほど良いと感じる
・他人からの高い評価がないと生きがいを感じられない
・他人からの受容、献身的なサポートがないと生きていられない
・自分は被害者だと思っていて、人生はうまくいかないものだと思い込んでいる
これらは幼少期~子供時代での
・もっと甘えたい
・もっと気にかけてほしい
・もっと理解してほしい
という想いが募りに募った結果です
そのままいくと、
人生は、仕事は、人間関係は
すべて “埋め合わせ” のためにあると考えるようになります
・成功しないと
・一番にならないと
・相手を服従させないと
・いつも何かを食べていないと
・24時間誰かにかまってもらわないと
当人はいつも不足していて、
死にそうな想いをしてそれらを追いかけます
かと言って、
それが一瞬でも満たされたところで
一秒後にはまた “埋め合わせ” の対象を探す思考に戻ります
満足する、という知恵
満足するという知恵は、
自分の動機と行動を洗い出し、
その本質を探ることから始まります
そこで自分自身との真の繋がりを再建し
体と心が強化、安定することで実現します
実際、身体が快活であると
脳やマインド、直観力が澄み渡り、
精神的にも自然と満たされます
「不足感」が幻想であることに気づき、
「満ちている」ことを頭だけでなく心から理解します
絶対的な幸福感がいったん形成されると
“ 埋め合わせ ” ではなく
“ 明け渡す ” ことに意識が働きます
与えること
委ねること
愛すること
導きをもたらすこと・・・
大人になるということは
思考を超越した “ 心で理解 ” することだと
私は 30歳になる頃 ようやく
その感覚を近くに感じられました
いつかどこかで無意識のうちに入り込んだ
脳内の印象や記憶に自動操縦で生きるのをやめ、
自らの今の意志、
今ある現実を生きる
そうして広がった心で、感じれる
〔 白砂糖依存症・中毒からの克服 〕
〔 満たされる食事 満たされない食事 〕
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アーユルヴェーダ省察プラクティショナー
K a o r i