生まれながらにして
社会という画一的な仕組みや伝統というしきたりがあるなか
自分自身をそのままに知り味わうこと、
静かにして内の声を聞くなど容易ではなかろうとも思ったりします。
だからこそ時間に対する意識と選択は重要で、
意識的に瞬間を積み重ねることが
自分を生きるか ー 生きないか、の違いになるだろうと。
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もっとも、
そうしたことに気づき ― 感じて
日々を修練ないしは
遊びのごとく生きて解釈を紡いでくれた先人ありきで
私含め皆がそれぞれに現代まで
〝 幸せ 〟についてを探求し
〝 不幸せ 〟から様々な教訓を得ているのでしょう。
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私の父は糖尿病です。・
父のことは
娘という立場と多少の〝 今の私 〟的観点からでしか解釈していませんが、
糖尿病に至る経緯やそうしたメカニズムが
過去自分自身にも確かにあったのを
ヨガ・アーユルヴェーダと出逢ったとき気がつきました。
食物への執着や食べ方の偏り、
それが暮らしに歪みをもたらし
生産的とはいえない関係性を育んでいました。
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そもそもの自分の体質や特質を知るなか、
・バランスを乱したままに生きるか
・バランスを整えながら生きるか
の選択肢について初めて意識できたことから
アーユルヴェーダが普遍的な知恵である理由がわかり、
2016 年来お酒を一滴ものまないばかりか、
肉魚も好んで食べなくなり( 食べるけど )、
ギーを手作りしたりスパイスを使っての調理がごく自然に日常に根付きました。
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父本人が糖尿病を経て、
幸せか不幸せかは私からは解りませんし、
それは人生最後の瞬間に本人が解釈することだと思います。
時々帰省するたびにギーを持参し、
これでご飯を炊くようにと母に伝えたりはするものの
〝 家族だから 〟という意識が欠如している私にとっては
父が良くなるようにという期待はほぼ皆無ですが、
当然私は父の血を受け継いでいるし
良くも悪くもたくさんのことを教わったと今になっては思います。
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― 糖尿病の父 ―
父は THE , ピッタ人間です。
整理整頓された空間。
バイクや車のコレクション。
ギャンブルに明け暮れる女好き。
いつも自分に正直で、
厳格で欲求が強く、
理想が高いゆえ短絡的行動に走りがちで、
社会的な立ち回りには悩んだ節があったと思います。
ベトナムから難民として日本へ入国した際、
途中香港に寄って母との間に私が生まれたり、と・・・
私の知る限りでも
ものすごくアドベンチャーな生涯を送ってきた父。
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理想と現実。
欲求との葛藤。
その帳尻を合わせるため日々強いお酒を飲んで、
内にある野心につかの間寄り添うことが
父にとっての癒しだったろうと思います。
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糖尿病は、
アーユルヴェーダでいう「 病気の7段階 」では
最終グレードに分類されます。
もう〝 手の施しようがない 〟と突き返されてしまうレベル。
かなり簡潔的にいうと、主となる原因は
ピッタ( 火 )と水( 地 )の増悪ということになります。
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巷では糖尿病について
美味しいものの食べすぎだとか
お酒の飲みすぎ、糖分の摂り過ぎだといわれますが
そうした〝 欲求 〟や
それによる過度の飲食の根源は
「 自由と快楽を求めている 」からではないでしょうか。
ピッタ( 火 )と水( 地 )に共通しているのは
・ロマンチスト
・快楽への渇望
・愛情への執着
です。
自由と快楽を求めすぎるがあまり、
現実は 100 % そうはいかないから( 一貫した行動をしなければ )
代わりに埋め合わせを要したのでしょう。
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「 食べ方 」を変えるとき
食物と食べ方を変えると人生が変わる。
よく考えなくても分かることですが、
具体的にそれがどういう意味かといえば以下のようなことです。
・今の自分の体質に合うものを感じれるようになる
・食物、調理法等の選び方に迷わなくなる
・食事をもっと本当の意味で楽しめるようになる
・不調が緩和することで質の高い時間を過ごせるようになる
・今日一日のことと長期的視野での見方、捉え方を発見するようになる
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上記の探求を少しずつ体感するなかで
私自身は以下のような変化がありました。
・平熱が 35 ℃台 → 36℃台なかばに
・便秘体質が毎朝定刻に自然排便
・定期的になっていた口内炎、忘れる
・毎月の生理が軽くなって PMS にも悩まない
・精神が安定して物事を深く考えられるようになる
・体調が安定して日常をより愉しめるようになる
これだけでも日常的な感覚値がとてもラクになり、
健康でなければ感じれないこと考えれないことできないこと、
たくさんあるのを知りました。
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父には父の人生があり、
彼なりの役割と父としての立場において
最善を尽くしたろうと思います。
それと同様 私には私の人生があり、
父から受け継いだものも父から学ぶことも多分にあるものの
現代の 1989 ~ に生まれ
今日まで生きているという点では
全く異次元に過ごしている自覚もあるので、
様々な経験を経てアーユルヴェーダを知れたこと、
今、自分に近づいて生きれるようになったことに感謝しています。
必要な方には手にしてほしい、
そしてまた必要なときに必要な場で、
活用れて続けるといいなと思うのがアーユルヴェーダの教えです。
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自分の状態に気づきやすい自分でいることが、
本当の意味できっと強くも優しくもなれる。
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便利になる世の中につられて
あまった時間をたんに浪費せずに
誰にとっても生々しく
あらゆる経験が享受できる日々でありますように。
・
アーユルヴェーダ省察プラクティショナー
K a o r i