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『どんな未来を見たい?』

個人の優先事項によって人生の形はつくられます
(人類の利益追求によって社会の仕組みはつくられました)

人は、まさに自分の思う通りに生きているようなのです

思って「いても」-「いなくても」、
必ずそのどちらかに向かって意識は動き、行動が起きます

真実の願望を明らかにすれば、そこに対して展開は動き出します

何も思っていないとすれば
何も思っていないように人生が展開します

タマス的な停滞と
サットヴァ的にとどまることの意味会いは、少し(大きく)違います

感じたいこと – 自分の行動とをつなぐとき、
「人間」と「人生」とは初めて友好関係を結ぶようです


人生でかくれんぼしないこと

ヨガとアーユルヴェーダの匠は、
「人生でかくれんぼをしないこと」と言いました

派手に生きろということでも
強く主張して生きろということでもなく、
『自分のことに自分で責任を持って生きる』には、
自分自身に対してかくれんぼしないことです

自分に対して正直にさえ生きていれば、
私たちは永続的な幸福に包まれるようになります

そこは安全地帯であり、力がうまれる場所になります

自分の動機と行動とに矛盾があるとき
– 自分自身に正直でないことが続く‥
そんな風にして『かくれんぼ』していたら、
いつまでも空っぽな、虚しい日々が過ぎゆくだけです

では、私たちは
どうしてかくれんぼするのかといえば、
意識的であれ無意識であれ、幼少期から今日までの経験がそれの動機になっています

比較がうむ劣等感、
競争がうむ疲弊感、
評価による恐怖心、
恥をかくことへの恐れ、
愛情への飢えを隠そうとする・・・

これらが心の隙間に入り込んでその場を覆ったとき、
人は自分の動機を持ち、意思を引き連れての選択 – 行動よりも
隠れておいて、周りがどう出るかを見て、
何かあったら適当に外部のせいにして、その場をしのぐやり方をとります

個の人生には “カルマ” (役割)があり、
社会の全体性には “トレンド” (流行) があります

その時代によって『生き方が合わない』として
『仕方なくその時代を過ごす』という人も、実際はいます

現代社会の仕組みは、
ある意味で心からの平穏を望む人にとっては
少々やりにくい面もあるのが事実だと思います

ですから、ヨガやその他の精神的修養 – または肉体的改革を経て
人は『生きよう』とします

– 人生(社会)に参加したくない
– かくれんぼしておこう

これらの想いは関連し、
結果『充分な充足 – 満足感』はないけれど、
『それなりに』自分自身との折り合いをつけて日々を生きることになります


正直になって

アーユルヴェーダの取組みやそこにある哲学をひも説いていくと、
「自分で選ぶこと」の重要性に気づかされます

そのためには
何より、自分で考え、問い、観察し、気づく、続ける、‥というプロセスを歩むことです

仕方がないこと、と諦めがあったとしても
自分の中で納得する選択ができていれば、それには責任があるということ

周りがそうしているから、
とイメージが先立ってよく考えずにそれを選んでいたら、
例え “素晴らしい” と称される選択であっても
そこに本人の責任感 – 意識は伴っていないから本人も “よくわかっていないまま” にそれをしているということになります

かくれんぼをしないことは
案外 難しいことではない、私はそう思っています

/

自分の中で “ 私の(今の)ベストはこれ ”
と思えるように、日々の自分の心 – 行動に意識的でいられているかどうか

“正解不正解なんてない、
自分の行動にどれだけ意識的でいられているか。
ただ それだけ。”

匠の言葉です


大切にして

今の私が思うに、かくれんぼをしない
= 自分の人生に参加するということは 例えば「毎日身体を丁寧に扱うこと」。

やさしく目覚める朝食を食べ、
活力を与える昼食を食べ、体を癒す夕食を食べる。

( かくれんぼすることに慣れていると、まずここがハードル高いですよね 汗 )

朝陽を浴びて、体を清潔に保つようセルフケアして、
適度に運動をして運動器官を点検し、やさしく呼吸する。
陽が沈んだら活動をゆるめて自分の心に今日のことを聞いてやり、
ベッドに入るとともに今日一日という小さな人生に幕を閉じる。

自分の大切さを感じれることは = その他のすべての大切さを感じられるということ

愛する人がいるなら、自分自身のことも大切にできないと。
愛する人が生きているのと同じように、自分自身も大切なひとつの命です。

ここが = でないなら、その愛はきっと脆く一時的なものにとどまり
一貫性のないものとして、ただ過ぎていきます

毎日を – 自分という人間を大切に扱っていくと、
外界にある “何か” に大きく囚われたり、いちいち気をとられることも自然となくなっていきます

もう、かくれんぼをする必要がなくなるのです

自由に、人生という広場を楽しめるようになりましょう

かくれんぼをしていたら、全体性は見えません

望む未来も、欲しい結果も見つけにくくなります

歩みを大きく、広く見渡すことができれば
それらは必ず見つかるでしょう


>> 自分らしく生きていくための『11の質問 』

>> 自分の命を守る方法


アーユルヴェーダ省察プラクティショナー
K a o r i


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