体と心が痛みから解き放たれると、
目の前に起きている事象に「乗る」ことができます。
私たちが自分自身から分離するとき、
それは自分(の身体・心)に在ることが心地悪く感じる = 身体・心に痛みがあるからだと思います。
消化できていないものが蓄積してやがてそれらが固執すると、サインとして身体や心に様々な〝痛み〟や〝不調〟として現れます。
些細でも不調があるとき、その都度ケアし緩和させることが大切で、何でも小さなうちに解消させることが一番の健康の秘訣だったりもするわけです。
痛みを誤魔化したり不調を助長させることが普通になると、自分にとっての〝バランスの良い状態〟が不明瞭になります。
「これくらい」と思って続けていることで、数ヶ月後、数年後にもっと大きなことになるか、
それら(痛みや不調)を忘れる(逃避)ために大きな演出(豪華な食事や海外旅行)を宛がう必要性も出てきたりします。
アーユルヴェーダ(やヨガ)を学び自身の健康を築いていくと、「なぜそれをするのか」と同時に「本当にすべきこと」が明らかになっていきますね。
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人生の波に乗る
愉しいこと、嬉しいこと、それらは直接的に自分自身のなかから湧き起こるものです。
先日、ある朝に「自然界に身を置きたい」といって少々ラジャスな要素からそこを求めた自分の心に、そっと対話の時間を設けました。
山川森海を感じれるところへ行きたい、そのなかで活動をゆるめて五感をケアしたい。
そんな風に考えたのですが、少しして違う視点からの考えが芽生えました。
・そこへ行くまでには電車やバスを乗り継ぐ必要がある、それ自体が〝ヴァータ〟を誘発する行為であるけれど、どう?
・本当に、今の自分がグラウディングするのに適切なことは何だろう?
・今、得ているもの、今手元にあるものを大事にするには何が最善だろう?
結果、高速移動の手段には頼らずにこの日は「自分の足」だけを使って移動し、近場の自然を感じれるところへ行って日光浴がてらブランチをしました。
大きな公園で愛犬とパートナーと散策しながらベンチで休み、他愛のない話をしているとすごくリラックスできて、近くにいたおばあちゃんから話しかけてもらえたり、通りすがりのおじさんと会話がは弾んだりで、結局「自然界に身を置きたい」ことが安易にかないました。
自分のなかでヴァータやピッタが高まっていると感じるとき、それらをリリースしてまた元の基準値に戻っていくことはある意味で〝波に乗る〟ことなだと感じます。
朝から 3 , 4 時間天気の良いなか自らの足で散歩することは本当に良いグラウディングになるし、目線や心のテンポもトーンダウンして
近くにいる人・もの・コトとのコミュニケーションも取りやすく感じました。
〝自分にとっての最善〟
これはいつも必ず違う答えになりますが、自分自身の状態に寄り添って行動を選び取れるようになると、柔軟な変化とともに成熟の道を歩んでいけると思います。
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「人生を遊ぶ」
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これらのプラクティスを是非日常へと機能させ、人生を遊び場のように過ごせる真髄としてお役立てください。
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《 On-Line Ayurveda 各講座のエッセンス 》
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K a o r i