‘ あぁ、満たされている ’
というとき、
私たちは自分の真の姿に触れます。
自分自身との距離がなく
自分が、ただの自分のもと居れている、
そんな事実を経験します。
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暮らしの基盤に「 真の充足感 」を。

現代社会に生きる私たちは
大前提として「 ◯◯ をせねば 」なりません。
単に一日を生き抜くのだって
最低限の収入を得るため働かねばなりませんし、
住民登録やら、税金も納めなければなりません。
身のこなしは最低限に清潔感を保たなければならず、
食事のためには食材を買ってきて調理するか、
外食ならばその支払いをせなばなりません。
労働という仕組みのもと成り立った現代において、
端的に言うなれば私たちは
「 命を生きる 」代わりに
「 義務を果たす 」ことを強いられているのです。
だからといって
義務を果たすその営みすべてが虚しいものか?
というと
そうでもなく、
暮らしの基盤に
まずは ‘ 真の充足感 ’ を得ることで、
私たちはそれらを能動的であることと
機械的で成すこととの分別が身につくようになります。
( おそらく、 )
義務に勤しむことは目的でなく手段に成り下がり、
もっと、本来の自分
= ひとつの命・生き物として
この地上に悠々と過ごせるはずです。
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真の充足感に在る

朝、陽が昇る前後でのオゾン層が澄んだ空気を吸うこと、
これは考えるまでもなく
身体( 細胞 )が再生・再起を経験し得る出来事です。
二度寝三度寝を重ねて起きたら昼前だった‥
「 思考 」はこれを快感と捉えるかもしれませんが、
身体にとってはこれだけで「 違和感 」です。
私たちにとっての真の充足感とは
普遍的で、自然的で、
生命の原理原則に基づくことばかりです。
もし、日々において不満足や不調和を
満足あるいは調和よりも大きく感じるのなら、
それは単に
自らがそうした循環
― 日々のなかで絶えず流れ出る循環、調和の芽 ―
を見逃し、取り損ねているに過ぎないのです。
幼少期かいつだかに植え付けられた
‘ 自分( の命 )のためにならない習慣的思考 ’
を今この瞬から解き放ち、
信念を構築する過程に
幾度となく自分の正直さと向き合いながら、
淡々と、
日々の調和、
真の充足感という基礎に
滋養を与えつづける意欲が必要です。
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今、に存在する。
・自分にとって意味のあること( を再考し )に注力し、
そうでないことは必要に応じ適宜こなす程度に捉えること。
・自分にとって大切なもの、存在、時間( を再考し )を明らかにし、
日常および人生の優先順位として意図、行動すること。
この世に誕生した以上、
私たちは常に、絶え間なく活動する生き物です。
就寝中ですら脳内では活動が続いています。
来る日も来る日も来る日も
「 ◯◯ せなば 」生きてはいけませんが、
日常の、暮らしの、自宅のなかでの
真の充足感を想うこと、
つまり、
肉体的および精神的な活動を担うなかで
「 自分にとって過不足なく終わる( 完結する )こと 」
を重要視して習慣という選択を重ねていきたいものです。
‘ 長所を活かして 短所は補う
‘ 似た者同士が助長し合い 相反するものがバランスをもたらす
この原理原則に ‘ 愛 ’ を感じるのは
私だけではないはず・。
いつ終わるか定かでない人生において、
‘ 真の充足感 ’ を日々養い暮らすことこそ
人間の醍醐味なのでしょう。

ふと、私は思うことがあります。
個人規模の健康は地域の治安となり、
地域の雰囲気は国、そして世界の平和に繋がる。と。
だから何マイルも離れた地で起きている戦争よりも
今、目の前の規律と調和とユーモラスを重んじたい。です。
その方が、私の命が活きて輝き、
私と私の周りが幸せに過ごせることを知っています。
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今年 5 月 24 日 (土) ~ 27日 (火)
自分のためのお料理プラクティス in 軽井沢
を開催します。
・一日のなかで朝、昼、夕食を創って食べる( おやつづくりもあり ♡ )
・Ayurveda 座学の時間あり、初心者経験者関係なく、健やかさ・幸福について語らおう
・ディナチャリヤに沿った暮らしのリズム
・すき間時間で軽井沢散歩、遊びの時間
年内のプラクティスはこちらで終了し、
それ以降の開催は未定とさせていただきます。
この機会に皆さまと直接的な体験を行えますことを
とても愉しみにしています。



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