パートナーシップを養い関係性を深めるには、まずお互いのことを受容するまでの理解・解釈ないしは成長へ向かう個の志そのものが不可欠です。
愛は忍耐で在り能動性であり・・・と昔ある本から読み解いたとき、いかに自分本位で破滅的な態度を過去のお付き合いにおいてしてきたかを再度自覚したのでした。(ごめんなさい。深く反省しています。)
アーユルヴェーダの観点からすると、「男性性」や「女性性」への理解を経てパートナーとの関係性は大きく変わるであろうという事をゆっくりと体感していきました。
やはり、当人同士の健康度合いが肝心なのですよね。
健康でないと体の調子が悪いだの心が不安定だので、パーナーシップどころではありませんので、日常的に自分の健康バランスを整えること、そのうえでのパートナーとの実態ある関係を営むことが大切になります。
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アーユルヴェーダに学ぶ
「パートナーシップ」
そんなこんなで
今日は【 パートナーシップ 】についてのお話です。
5 年前にアーユルヴェーダと出逢ったことで、アーユルヴェーダによって〝健康〟が個人規模に留まらず周囲へと影響していくのを感じてきました。
自分らしい健康に向かうときはまず自分自身の状態をおおよそでも正確に認識する必要があるように、
幸福に向かうときには互いの状態や相手そのものについてフラットな視点から知ることが必要になります。
言葉で云うとなんだかカタいですが、
どうも「愛」は〝感情〟だけでは培われないもの。
純質な状態、
つまり明晰さや創造性、そして欠かせないのが能動性。
相手のため、じゃなくて関係性のために尽くすこと‥
と以前匠の教えにもあったのですが、そのためにやはり前提として自分が自分自身で在ることが大切。
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女性性や男性性について、目に見えない微細な領域にまで私たちはこれらの作用によって生き・生かされていることを知らされる場面があります。
反対に、忙しい毎日のなかで知らぬ間に自分の女性性をひどく抑えつけたまま過ごしていたり、または男性性を強く頼りすぎる形で自らを振舞っていることも往々にしてあるでしょう。
これらはドーシャバランスやグナの作用を説いていくことでより解釈が及びますが、こうした〝偏りのある状態〟に気づかせ本来あるべきバランスへと立ち返らせるのがアーユルヴェーダやヨガの教えに含まれています。
私たちは、生まれた以上は人間として自然に生きる価値があり、女性としての自分を辱めたり隠したり抑え込む必要もなければ、男性的な振舞をもって強さを必要以上に掲示する必要もないということをここから学ぶことができます。
ときどき〝どのようにして彼とアーユルヴェーダライフを?〟と訊かれることがあるので、今後少しずつこの側面からのお話も展開できたらと思います。
2016 ~ 2017 年に匠マイラのもとでヨガやアーユルヴェーダについて学んでいる最中、精神的な性質を見つめ説くカリキュラム内において関係性のトピックスが出たとき、私は自分とパートナーとのエピソードを話しました。
するとマイラは
〝彼は永遠なる自己について知っている人ね〟と云うのでした。
そうなのです。
私は彼がそのような〝自分とは違う次元〟に生きる人であった故に惹かれ導かれ、そしてヨガやアーユルヴェーダにも出逢ったのでした。
〝永遠なる自己を分かっている人〟という意味では、ヨガやアーユルヴェーダを知らずともそのように人生に身を据えている人が居ますよね。
■ アーユルヴェーダもヨガも要らない人 |
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私たちはアーユルヴェーダやヨガに出逢うとき、単にこれを〝習い事〟や〝趣味〟としてでなくもっと深くニュートラルな心の教養として人生の基盤へと組み込み、場合によってはマイナス地点から一歩ずつ構築し直すことでようやく〝自分らしさ〟のうえで生きられるようになるのでしょう。
事実、私たちは何かを真に心得たりまたは重要な何かを完全に失った先でほぼ〝自動的〟に自分にとっての真実に沿って生きるようになります。
努力して修得する必要性は自然と鳴りやみ、まっさらなフィールドで人生をただ生き始めるのです。
すべての〝正解〟は自分自身の真実に伴うものなのだから、例えば大学試験や企業の成績評価等から離れた視点で、心身の – そして人生の修養であるアーユルヴェーダやヨガを魂へ落とし込んでいきたいものです。( Ananda ではそのことに全精力を費やしたカリキュラムを構想しています )
アーユルヴェーダ(ないしは食事学や健康・生死感について等)を心で学び始めると「食べ物と食べ方」や「ライフスタイルの創り方」が変化していき「人生そのもの」についても考えるようになりますが、心配せずとも(?)一人が健やかさに重きを置くようになるとその周りへも必ず何かしらの影響が及びます。
当人が総体的な感度(五感や精神性や思考のすべて)を磨き上げていく過程では自分が自分の身体と心に留まることを心地よく感じるようになるので、そこへはサットヴァ的スペースが宿るようになります。
このスペースがないとき、私たちは外界をあちこち彷徨うのです。
自分の身体と心に一定のスペースを宿らせることは自分を大切に想う結果の現れで、自分自身を何かの犠牲に宛がっているとこれが難しく思えたりします。
・・・一人の人間へ一定のスペースが宿ると、近く隣に居る人へもその心地よさが察知されますので、関係性においてサットヴァが拡大していきます。
反対に、一人が健やかを深める過程で〝摩擦〟が生じるとすれば、それは互いの人生における優先事項を見つめ直したり摩擦の根源にあるものが何か、または先にある摺合せの必要性を導いているかもしれません。
どのみち、進むべき方向にすでに展開が始まっているという意味で、私たちそれぞれの決意や意思、受容感によってここは様々な可能性があり得るということです。
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アーユルヴェーダに限らず〝パートナーと共に健康で幸せに過ごす〟ことへ向かうプロセスは様々あると思います。
〝この人といつまでも健康で楽しく & 困難が在れば乗り越えて力に変えていけれるように〟‥愛し合う人同士であればそう願うのは皆共通ではないかと思います。
私と彼にとってはそのきっかけがアーユルヴェーダにあり、根本に互いを想う気持ちや考えがあったということになります。
元より、至って健康な人にとってはそれらは特段要らず、私たちの場合は過去大きくバランスを崩したという経緯もあったことから健康の再構築とその重要性についてを身をもって体感してきたために今のライフスタイル、自分たちらしいアーユルヴェーダライフがあります。
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大切にしたい、何が何でも。
・・・と、このようなときにエゴもたっぷりとのしかかってくる場面もあるでしょう。
私自身そんな場面が大いにありました。
〝病気になってほしくない〟という恐れや心配が根源にある動機では、どうしても独りよがりとなって相手にとって押し付けと受け取られることがあります。
しかしそれをパターン化させず、もっと根底において潜り込んで〝観察する〟ことや、互いの暮らしのなかで〝微調整〟することを学ぶのも非常に大切で、私はアーユルヴェーダの観点からこれを見失うことなく関係性に寄与させることを続けてきました。
愛する人が居てアーユルヴェーダと出逢い、
アーユルヴェーダがあることでもっと深くナチュラルに、パートナーと愛し合えるようになるのでした。
(だからこそまずは基盤を知り、自分自身にそれをゆっくりと落とし込んで定着させること。変化を恐れずに楽しめること。ひっそりでいいんだ。)
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アーユルヴェーダを取り入れた暮らしを経て現在 5 年目ですが、明らかに私もパートナーも以前よりお互い健康で、幸せに有意義な日々を送れていると自負しています。
パートナーとの出逢いがなければ、パートナーがここまで命を張って人生を生きる人でなければその尊さに気づけなかったでしょうし、健やかさを根付かせることやそのための長期的実践など思いも及ばなかったでしょう。
結局のところ私たちは〝愛〟によってしか突き動かされないのです。(ね)
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Ananda のプラクティス内、基礎講座や女性と子どものためのアーユルヴェーダ WS ではアーユルヴェーダやヨガの指し示す女性性・男性性の概念について紐解く場面があります。
月と太陽とが交互に昇るこの自然界ではそれに呼応し合うように女性性・男性性が存在していますから、単に性別的概念としてでなく、精神的なエネルギーとしてそこらじゅうで微細に女性性と男性性は存在しているということ。
身近な例では〝論理的思考〟や〝感情理論〟などという形でも云われてると思います。
女性性と男性性のどちらもが人間としての人生を経験するのに必要な能力であり生命的本能として根付いていますから、考えたいのは今の自分の人生で女性性や男性性がどのように機能しているだろうかという視点です。
男性性が優位となるシーン:
物事を動かす、繁栄・発展させる、論理的観点、決定力、戦略性、損得勘定、強引さ、快楽への渇望、主導権を握る(服従させたい・支配下におきたい)、 等
女性性が優位となるシーン:
物事を感じる、愛で育てる、愛着、愛情、執着、執念、恨み、恐れ、不安、安定への願望、変化に応じない、受け身(主導権を握ってほしい・依存していたい)、等
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健やかさについて – 肉体的にも精神的にも – バランスを取り戻すとき、ときに私たちは自分が想っていた以上に男性性を優位に発揮していたりまたは女性性をあまりにもないがしろにしてきたことに気づきます。
確かに現代社会では男性性が優位である方がコトが運びやすい側面はありますし、女性性を真に拓くことへ恐れや躊躇を感じている人は今珍しくありません。
が、人間として生きようと自分自身の心地よさを探求し始めるとき、真の勇敢さや根深い愛情についてその神秘的なエネルギーが成す偉業や慈悲の底知れぬ実態に、私たちはあまりに恍惚とするのです。
自覚しておきたいのは、ドーシャ理論と同様に適切な土台を築くことで自分の中での双方 – 女性性と男性性 – が調和し機能するようになるということです。
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これまでアーユルヴェーダの学びを通じてその方ご本人とその周りへもサットヴァの和が広まったというお声を度々いただいています。
とある受講者様のエピソードでは、
基礎講座の修了後数年ぶりに彼氏ができたのですが、その彼は彼女の関心に寄り添い共にアーユルヴェーダに興味を抱き ♪、後日お二人ご一緒にアーユルヴェーダ料理教室を受けてくださいました。
当日とても熱心にアーユルヴェーダレシピを学んでくださいました彼(前日までに予習もされたのだとか)、後日彼女の仕事帰りにキッチャリーやほか副菜を作って待っていてくれたそうです。(涙)この時のご報告への感動は未だ忘れません。お二人は後日入籍し晴れて夫婦となり、可愛いお子様にも恵まれたのでした。(歓喜)
アーユルヴェーダを心して学ぶとき、人生そのものに大きな甘受が訪れるようです。
健康を取り戻す過程で出逢う「女性性」と「男性性」のバランスと唯一無二のお互いの形。
生きる意味に彩をもたらすアーユルヴェーダは、いつ・どのときも私たちの大切なことを思い出させてくれます。
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オンライン版にて修得いただける[ アーユルヴェーダライフ講座 ]では、あなたのための、そしてあなたの近くに居る人のためのプラクティスとして構成されています。
コンセプトは〝自分と遊ぶ〟。
自分自身と遊べる人は誰かと遊ぶのも上手です。それは自分自身に飽きないという意味で関わる相手の人生をも面白いものにするでしょう。
まずは自分について知り、
そのうえでもっと自分らしく健やかなる歓び溢れる毎日を創造する。
>> アーユルヴェーダ × 現代社会を解きつなぎ合わせるユーモアあふれるカリキュラムでもあり、アーユルヴェーダの解釈をベースに関係性への深まりに直結する具体的な手立てについても含んでいます。
また特質として【アーユルヴェーダを学び始める前提として自分を知る】 or 【アーユルヴェーダを学んだあとでより自分らしくキャリアやライフへ反映させるにはどうしたら良いか】をも明るみにします。
パートナーシップにも必ず役立つはず。
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[ A y u r v e d a L i f e 講 座 ]
~ 自 分 と 遊 ぶ ~
・ ・アーユルヴェーダの知恵、思想、哲学から「自分らしく生きること」をみる ・「アーユルヴェーダの基本知識」を解りやすく修得 / 体質理論・精神傾向・食物・暮らしのガイダンス ・根本から目覚め、自分を生きていくための準備に大事なことを知る ・自分らしさを取り戻すための具体的なステップを歩む ・身体組織(五感)の正しい扱い方と日常でできるケア法 ・人生での時間の刻み方、自分に見合ったスケジュールの組み方 ・困難を感じたときにも決して歩みを止めない方法 ・情報や感情にふり回されない自分で在るために必要なこと ・身体と心を繋げて自分を生きる、現代版アーユルヴェーダ的セルフケア ・アーユルヴェーダ的アプローチから肉体と感情の毒素を開放するプロセス ・「本来の自分」が見え始めたとき、生涯深めていきたいこと ![]() 構 造
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すべてのプロセスを On-Line 上にて受講いただけます |
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・今の自分って、何からできているの?
・自分の肉体的 & 精神的特徴から長所と短所を理解する
・本当にしたいことは、できることは、なに?
・暮らすこと、食べること、生きることを繋ぐ
・関係性、仕事、家庭‥すべての関係性にもっと存在するために etc …
アーユルヴェーダの原則・エビデンスを軸に自身と折り合いをつけながらもっと自分と仲良くなり、自分なりのアーユルヴェーダライフを築き上げる手立てを十二分に網羅し構成されています。
このカリキュラムは、たかだか 10 年以上ではありますが自身が過去経験してきた「不健康からの健康」や「不幸からの幸福」「無知からの閃き」を可能な限り包括的にスポットを当てながらそこから 5000 年以上も継承されてきたアーユルヴェーダによる教え・理解と解釈・実践と変化とを融合させた内容になっています。
アーユルヴェーダライフ講座は各テキストに伴い課題ツール等を搭載していますが、これらはすべて〝完結型〟ではなく人生の様々な局面において何度でも寄与させその度に自分らしい形へフィットを成すコンテンツとして構成しました。
>> 私たちが毎日のなかでより遊び、健やかに、自分らしい土台に生きていけますように。
皆がもっと、もっともっと愛し合えますように。
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アーユルヴェーダ省察プラクティショナー
K a o r i