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皆さまこんにちは。
Ananda かおりです。
アーユルヴェーダお便りをお読みいただき、ありがとうございます。
■ 2019 年 11 月 ~ 少しずつ政策を進めてきた当コンテンツ「アーユルヴェーダお便り」にて今日から、全 5 話にわたってアーユルヴェーダによる自身の体質改善の道のりを綴っていきます。
■ 現在アーユルヴェーダと出逢ってから 4 年になりますが、最悪な健康状態だった当時からの回復を綴ると実際には 10 年前から遡る場面も多く含まれています。
アーユルヴェーダというものを知って、学びながら日常に取り入れてきた事柄や、生きるということへの意識探求に役立てた多くの知恵もここへは書いていきます。
■ 匠から、そしてもっと古くから自然界とそれを紐解く人々によって伝えられてきた底知れぬ教えを、現代社会に生きる私の身体で取り入れることでどのような変化が起きていったか、「本質的な体質改善」の「全容」を収めています。
■ このアーユルヴェーダお便りが、少しでも今、健やかさに向かって歩み始めた人にとって、そしてより深い幸福を暮らしに取り込もうという人にとって何かのキッカケなればと思うのと、アーユルヴェーダを深く知らない人へもこの〝 生命のための科学 〟が身近に感じられるようになれば幸いです。・
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[ ~ アーユルヴェーダライフ動画 01 . ] |
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~ アーユルヴェーダライフって何? ~
手探りで見つめてきた、私にとっての「食べること」
私にとってのアーユルヴェーダとの出逢い、そこから日常の食事やルーチンにアーユルヴェーダが活きていったお話をします。
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2016 年にアーユルヴェーダと出逢ったとき、それまでの自分の食べ方と暮らし方を振り返りました。
普通に行ってきたあらゆる習慣が実は、積み重ねによって大きな不調に繋がっていたことをいくつも知りました。
ヨガ留学ではアーユルヴェティックな食事・生活様式のもと一ヵ月間暮らし、
アサナを通して常に微細なレベルで五感を扱いながら過ごしました。
この期間で最も強く感じたのは「自分が生きていることの実感」でした。
体の可動域は日に日に広くなり、脳が冴えて思考が落ち着いていきました。
心の淀みもどんどん抜けて、軽い感覚が心身ともに続くのに、それでいて様々な物事・フィーリングを察知し受容、リリースすることがかなっていました。
私は私で居ながらにして、私自身とその他のことを何度も何度も赦していました。
今に在るために過去を癒し、やってくるのならそのすべてを見つめ、そして手放そうと、心して思えたのでした。
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心の空虚感
幼いころから、私は「空腹」を感じることが多くありました。
肉体的な空腹だけでなく、時に心の空腹として食べ物を口に詰め込んでいました。
精神的な空虚感は、激しく痛みを伴うものではなかったので、食べたり飲んだりしていれば大体は紛れました。
子供の頃からの間食癖は大人になってからも普通にあって、特にお酒を飲んだ時には胃袋が無限のごとく食べて、少し時間が空けばまた食べ続けていました。
今あるものに満足していない、心がどこかへ行きたいと渇望していたようでした。
ヨガ留学中に穀物と豆類と野菜中心のアーユルヴェティックな食事が出されたとき、私はそれらがもっと〝おいしいもの〟だと期待していたので、当初は内心物足りなく感じて少々がっかりしたことを覚えています。
しかしどちらかと言えば「食べれるだけ幸せ」と思う気持ちの方がすぐに上回って、数日もすれば食事の美味しさを神経レベルで味わっていました。
依存性のあった白砂糖やその他のものが徐々に肉体と精神から抜け出ていったとき、食物の本来の美味しさをようやく感じれるようになったのでした。
初めの 5 日間にキッチャリー期間が設けられていたことで食への種着はごっそりと剥され、あれが食べたい、これが恋しいなどといった心の声は沈黙になりました。
「小さな欲求を満たし続けていると心が弱くなります」と匠マイラが説いたように、私はそれまでの食事と暮らしでいつも自分の欲求をひたすらに埋めるようにして生きていました。
仕事への欲求を駆り立てて自分に厳しくして、それでいてあっという間に甘やかして甘いものをたくさん食べたりお酒を飲んで憂さ晴らしをしていました。
真の強さ、忍耐と受容など培えていませんでした。
良くも悪くも、それまでは食物に〝関心〟がなく、好きなものを好きな時に好きなだけ食べているのが普通でした。
栄養が偏っているかなと思えばスムージーやサプリを飲んでみたり、浮腫んだり太ったりすれば脂肪燃焼と謳われる飲み物や健康に良いと魅せられた食品を食べました。
食物を通じて自然界との結びつきを感じるなんて、想ってもみなかった感覚でした。
美味しい食べ物といえばレストランやコンビニにあって、出来上がったそれを食べることだけが楽しみでした。
母の手料理は子どものころから好きだし、夢中になってそれを食べていましたが、だいたいいつもTVや携帯をしながらのながら食べで、心でそれを食べていたかというと、少し違っていました。
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今の私にとって、
食べることは「繋がること」
食べ物への関心が湧いて食べ方にも新たに取り組んだとき、人生のその他の部分も明らかになっていきました。
私自身のあらゆる物事への態度とその理由について、です。
一定の時間をかけて向き合っていく過程で、食事への概念や食べることへの意識が底から変わっていきました。
当時は一過性だった「食べること」が、今は全体と結びついていて、食べる = 生きることに展開し繋がっています。
どちらかがあればどちらかも同時に在る、両面が対等。というのが今のフィーリングです。
当時、私が必要以上に食べ物を貪るのは = 自分が人生全体とどう関わり構築しているかを表していることに気づきました。
これはじっくりと向き合い、方向転換する必要があると思いました。
・・・その全過程について、このお便り内では綴っていきますが、
2020 年 9 月現時点での私のフィーリング「食べること」は以下のようになっています。
・「食べ物」だけがすべてではないということ ・気分よく食べる自分で在るよう、人生全体へ参加するということ ・自分が本当に感じたいものを食べる、選ぶことの意味 = 生きるということ |
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今から 10 年ほど前、2010~ 2011年頃が私にとって最も改善を要する時期でした。
これ以上は無理だという状況に陥って初めて日常に様々な変化を取り入れ始めましたが、結局は「自分自身」が変化することが最善だと気づき、次第にヨガ、アーユルヴェーダへとたどり着きました。
ヨガ、アーユルヴェーダと出逢ったとき、それまでの「何となく」が「ハッキリ」と照らし出されたのを機に、より深い実践を継続した先で、今のようなフィーリングに至っています。
2010 年頃にも表面的な手法から根本的なやり方へとシフトし始めていましたが、この頃に取り組んでいたことが実は、アーユルヴェーダの観点とも共通していることを後で知りました。
当時の体感を経験したうえで「今、自分が消化すべき事項」やこの先に進む道が明らかになったときがありました。
それが、2016 年のことです。
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~ 自分の健康状態にある真実を見る ~
健康の「つもり」だけで、全くもってそうではなかった側面
自分自身の状態を部分では分かっていたつもりでも、全体的な視点と根本からの解釈が未解決でいた頃、メディア化された情報や健康ツール等を様々鵜呑みにして漠然と自分に放り込んでいました。
今思えば、大して要らない(効果のない)ものを摂取していたり、摂取することでかえって身体にとって負担を増やしていたり、と的外れなことを多くしていました。
自分自身をよく分かっていなかったので、最善の手段も当然分かり得なかったのでした。
玄米や雑穀米がすべての身体に抜群に良いと信じて疑わなかったし、スムージーもヨーグルトもアサイーも豆乳も、同様に解釈して日常的に取り入れている私は健康意識高い方だよなぁと思っていました。
しかし実際は便秘は変わらず、冷えもそのまま。
皮膚も乾燥とオイリーとを繰り返して口内炎も時々できていました。
アーユルヴェーダを学んだ時、私は自分の健康状態についていくつか気づく点がありました。
・食後、異様なほどに眠くなる ・食べるのにかかる時間が異様に長い(食べるのを終えたくないと思っている) ・食後におやつがないといけないと思い込みがある ・呼吸がいつも浅い ・白砂糖と小麦に中毒、依存性がある |
トータルで見ると消化力(アグニ)が弱く、不規則だということが分かりました。
子供の頃から 7 , 8 歳の時点で十分なアグニがなく、慢性的な消化不良がその後の人生で起きていたのです。
健康と謳われるものやコトには手を出すも、反対にアグニを弱めていることをまだまだ手放せていませんでした。
極端にアグニを弱めてしまった 2010 年頃に、暴飲暴食や不規則な暮らしからは大きく脱却したものの、それらを補いきるのに十分なほどのアグニ(消化力)のケアはできていなかったことが分かりました。■ 長年の習慣からアグニを弱めていたであろう事柄
・電車の乗り継ぎ時間に「スムージー」や「豆乳きなこ」を買って飲む ・朝食はだいたいコンビニのご飯(冷たいヨーグルト、生サラダ、豆乳、コンビニのパン) ・昼食はだいたい外食もしくはコンビニ(イタリアン、中華、和食、何でも食べる) ・生サラダは身体に良いからたくさん食べる ・食後に甘いスイーツ、家に居ても食後はコンビニへ行ってアイスクリームを買う ・休日はジム運動、そのためにつくられた清涼飲料をがぶ飲み ・パンケーキやタピオカなど大好きな甘いものを好きなだけ食べて翌日に断食 ・食後に眠くなったら昼寝する |
上記のような事柄をやめること(やめる必要性)はまともに検討したこともなく、なかばその代わりに(やめないで済む)、‥とメディアで良しと謳われる健康法を取り込んでいたのかもしれません。
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~ アーユルヴェーダを知る前の、マイアーユルヴェーダ期間 ~
社会人歴 5 年目
人生でピークに「増悪」したときのこと
2010年の20歳の頃。
私は渋谷109 で働いていました。
当時、高校を半年もしないうちに中退し、その後でアパレル業界で働き始めました。
初めに 16 歳でも就業できるお気に入りのブランドで働き始めて、その後18歳を迎えると同時に強く憧れるようになっていたブランドにいよいよ入社しました。私にとっての成長奮闘記がここから始まりました。
勉強への関心はとうに失われていたし、当時私が関心を惹かれていたことといえば「着飾ること」。そして「頂点を目指すこと」でした。
当時私にとって最大のムーブメントは「ギャル」で、カッコよく作られたそれらで身なりを固めて、強気に街中を闊歩し振舞うことが生きがいに感じていました。
当時、時代を生き抜き先端をゆく人々のカリスマ性は本当に凄かったし、様々な業態が色濃く強烈な戦略を様々練って流行を発信するなかで、揺るがぬ自我を持ち生きる姿の女性が素敵で、私もそう在りたいと志していました。(強く憧れる女性がこの時いました。)
子供の頃からわんぱくで好きなことには一直線。故に度が過ぎてしまうこともあった私。
高校を突然中退してアパレル業界で働き出したとき、毎日が本当に刺激的で楽しく過ごしていました。
お洋服というコンテンツを通して自分を表現しながらも接客、裏方の業務など分からないことの全てを体験していく時間。親切で熱心な上司に支えられて同期とは切磋琢磨する日々で、着実に仕事は何たるかを学び確かな生きがいを感じるようになっていました。
往復 3 時間弱かかる通勤も「好きだから」と、むしろ通えることや働けることに有難みと誇りを感じていました。
20歳を機にお酒をよく飲むようになった頃、社会人歴 4 , 5 年目にして自分のなかで大きく何かが動いていきました。
15 歳の頃から 5 年付き合ってきた彼との別れも大きく関係していました。
行ったことのない場に出向いて会ったことのない人たちと出逢って、愉しく学びになるなぁなどと感じることもある反面、自分の存在をどこに置いたら良いかが分からず、戸惑い、衝動的にお酒を飲んだりたくさん食べたりして気を紛らわすような振る舞いもしました。
楽しくなったり、時によってはやけになってそれらを過剰にすることもありました。
まともにその場に存在して関係性を育んでいたとはとうてい思えない過ごし方をしていました。
自分の中で刺激と快楽とが渦巻いて、初めはそんな日常が続こうが割と元気で睡眠不足が続いてもへっちゃらでしたが、そのうちに身体の重怠さや思考の鈍さも交互にやってくるようになって、この間約半年で 8 kg 太ってしまいました。
太っただけでなく、時差でその後不調が次々と重なり、人生で最も心身の不調が続くようになりました。
当時の主な過ごし方・サイクルは、
・週 3 – 7 でお酒を飲み夜でも食べたい放題、夜遊びして朝までオールナイト ・平均睡眠 2 – 3 時間前後、全く眠らずに 2 日間起きたままのことも ・仕事だからと 2 – 3 本栄養ドリンクを飲む |
仕事では、自分が憧れて入社したブランドであったのに当時の私の勤務態度は本当に最悪で、そもそも太り過ぎてヴィジュアル担当の役割を果たせなくなっているし、体もマインも乱れて接客も店頭での立ち居振る舞いもまともにできない状態でした。
その時の私は、低次元の自己のためだけに日々時間を使うようになっていました。
自己コントロールは効かず、身体や心は常にアルコールか砂糖が入っている状態で、まったくもってまともに生きてはいませんでした。
朝になれば空虚感に襲われ、身体も心もしんどいので早く夜にならないかと快楽を求めるようになっていました。
夕方になると元気になってきて、また飲みに出かけて夜遊び、朝まで帰らないのでした。
極端で度が過ぎるのはピッタ的マインドで、当時の自分はヴァータの体質も増悪していたことから神経系の失調も同時に起こっていきました。
肉体は緊張して神経が過敏になるも、体内では炎症が悪化していたということです。
ヘルペスや口内炎が続いて肌荒れもひどくなり、風邪気味で鼻が詰まっているか垂れているか、声がハスキーな状態が半年以上続きました。
完全にバランスを崩していて、そのことをようやく自覚してくるも、暴飲暴食しすぎて冷静な判断も思考もままならない状態でした。まともに考える間もなくまた飲みに出かけて夜遊びをする。
翌日また重い身体を引きずって仕事へ行く。‥
正常な判断ができないようになっていました。
普段ほとんど物を云わない上司に初めて「大丈夫か?」と声をかけられたとき、
そして親友から「いい加減にして。かおちゃんこのままじゃ友達誰もいなくなるよ」と本気で叱られたとき、鈍り切っていた心に痛みが走ってようやく自分のしていることにかつてないほどうんざりして、惨めに思い、このどうしようもない状態を恥ずかしい、何とかしないと、と思えました。
親友からの言葉を突き付けられたとき、自分の身勝手さと同時に、自分の弱さもはっきりと見せつけられた気がして、そして「このやり方じゃダメなんだ、違うんだ」ということを、もう誤魔化さずに感じるほかありませんでした。
ピッタなマインドとしては、自分の見栄っぱりな側面が〝これ以上堕ちてはいけない〟と察知したようで、自分がめちゃくちゃにしてしまった全部を、マイナスからやり直さないとと襟を正すことに決めました。
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■ 半年間で 8 kg 太った以外に支障をきたしたことまとめ
・発熱と長引く風邪 ・ハスキーすぎて何を話しているか聞き取れない ・ヘルペスを繰り返し発症 ・口内炎を繰り返し発症 ・PMSが重い ・ニキビが頻繁にできて大きく集中的にできることも ・すぐにイライラする、落ち込む、どうでもいいと思う ・不安で一人で居られない、誰かといたいと思う ・日常的な耳鳴り ・便秘と冷えはずっと続いたまま ![]() |
楽しそうだし楽しい!と思って始めた暴飲暴食、夜遊びの日々でしたが、身体にとって良いことは何一つ残りませんでした。
極端なマインドのピッタが、今度はバランスを取り戻そうとそれまでの習慣を一掃し始めました。
第一に増えた 8 kg の体重を戻す必要があり、激しく起伏する心とも決別すべきときでした。
それまで毎日遊び歩いていたのを毎日直帰すると決め、帰ったらひたすらにウオーキングすることを習慣化しました。
その時、一人で居られない不安症を落ち着けるために携帯は持たず、ルートも決めずにただただ 1 時間、 2 時間と延々歩き続けました。
増えた体重を元に戻すことと散らかった心を元に戻すことを、ここで同時に始めました。
この時期に時間の使い方を大きく変えて様々なことを捨てて代わりに取り入れるようになるのですが、後から思うとアーユルヴェーダ的にも実に理にかなっている内容でしたので、ここでその期間のことを「マイアーユルヴェーダ期間」と称します。
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■ マイアーユルヴェーダ期間で行ったこと / 2011 年 ~
・仕事後は直帰してウォーキング。日によって 30 分 ~ 2 , 3 時間程。 ・付き合いを減らす、付き合いたい人とは昼間に会うようにする。 ・半年ほどで増えた電話帳件数を一気に削除。ざっと100件ほど。 ・溜め込んだ洋服、雑誌、雑貨を一気に破棄。ざっとゴミ袋大10袋ほど。 ・持ち歩きのお菓子をやめてお昼ご飯できちんとしたものを食べる、和食が増える。 ・夜はあまり食べない。 ・休日もムリに予定を入れない。一人で過ごす。 |
このなかでも「一人で過ごす」と「きちんと食べる」は大きな革命でした。
反抗期が始まった頃くらいからはいつも誰かと一緒に居たくてお友達も多ければ多いほどいいと思っていましたが、元はと言えば一人でも大丈夫で、一人で遊ぶことが得意な子どもだったことを思い出しました。
20 歳を過ぎてもう一度「一人で過ごす」ようになったとき、自分の正直な気持ちや本当の考えに気づくようになりました。
■ 当時の一人時間の遊び方
・本屋で延々読書、気になる本をめくり、気になる言葉を読む ・休日は一人で知らない場所に出かけ、五感で感じたことをその都度ノートに書き出す 自分の感じ方(目・音・香り)に注目する、携帯を気にしない ・雑誌や本からスクラップして自分のお気に入りをまとめる ・毎朝やることを決めて、ノートに書き留める、実行する ・シフト勤務でも毎日決まった時間に起きて、朝の時間を有効活用する ・一人ランチ、一人映画、一人ホテル、一人皇居 |
それまで自分以外の他の誰かや物事に費やしてきた全エネルギーをそのまま自分自身へすべて向かわせ宛がうようになりました。
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2 0 1 1 年 の 日 記 内 容 の 一 部
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2011. 9. 20 am 2 : 58
1 時間 40 分 歩いてきた。
台風の影響で雨の中。ケータイも持たず。色んなことを考えた。
仕事。今の自分、これまでにやってきたこと。これからどうしていくべきか。
恋愛。自分がこれまでのひと、どう思ってたか。どう思われてたのか。
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それまでは自分が感じていること、考えていることを無視してないがしろにしすぎていました。
考えがまとまる前に何かをすることは普通でしたが、この時から「決めて」、やるということが定着しました。
どうやるか、自分の想いとイメージとを重ね合わせて、実行に移すときにもそれらをただ描くように考えました。
いつも自分と過ごして、それまでの暴飲暴食をやめてきちんとしたまともなご飯を食べることを増やしただけでも、心が落ち着いて集中力が増すのを実感しました。
自分の体と心へ常に耳を澄ませるようになって、それまで無視してきた想いやフタをしてきた考えにも解釈が及ぶようになっていって、私は当時絶不調に陥っていた自分の状態を題材に、一つ一つを紐解いて観察し、理解していくことも始めました。
なぜ、毎日あんなに刺激を求めていたか → 逃げていたから → 何から?
なぜ、毎日一人で居られなくなっていたか → 愛されたかったから → 不足と感じたのは何故?
なぜ、いつも外側に答えを探し続けていたか → 責任を取りたくない → 子供で居たい、甘えたい → なぜ?
なぜ、良く思われたいからと多くを抑制したか → 自分で考えるより言いなりがラク → 依存を望む根源は?
なぜ、すべてを破壊したい衝動に駆られたか → 恐れていた事態は何か → それを克服する覚悟は?
なぜ、・・・
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~ ヨガとの出逢い ~
暮らしのなかに組み込まれたヨガの存在
マイアーユルヴェーダ期間中、本屋へ立ち寄ることが増えて自分のしてきた失態をもう繰り返すまいと考え方を根本から見つめたり、変えるキッカケになったり、とその参考になるような本を読むようになりました。
電車の乗り換え時など少しでも時間があれば本屋へ行くようになり、そんな中であるとき目に留まったのが「 Yoga 」という言葉が書かれた本でした。
本だったか雑誌だったか覚えていませんが、ヨガは瞑想と共にあるんだというのを何となくそこで知りました。
「心の平穏」など、当時の私からしたらかけ離れたものであったし、自分自身が平穏で居れてたらあんな数々の失態は犯さなかっただろうと、‥自分への戒めの想いもあってか、ヨガや瞑想に惹かれていきました。
幼い頃からの長馴染みであり親友の彼女と(叱ってくれた親友とは別の親友)、その頃は年に 1 , 2 度程度で会っていたのですが、この時も久々に会うと、彼女の口から「最近、瞑想に興味があってね」と言葉があったのです。
彼女が「好きな先生のヨガクラス、一緒に行く?」と誘ってくれたのを機に人生で初めてのヨガクラスに参加したのでした。
それまで激しい運動やダンスでしか身体を動かしたことのなかった私にとっては、ヨガは運動のどれとも全く違って、初めてこんなに自分自身の体を丁寧に、ゆっくりと動かしたなぁという感覚でした。
先生の言う体の部位やアサナの意味はさっぱり、理解するのにあたふたもしたけれど、それに勝る心地よさを体感することができました。
呼吸をきちんとするということも意識的にはしたことがなかったので、全身が落ち着いていくのが分かりました。良きタイミングで誘ってくれた親友に感謝です。
ヨガはとてもよかったけれど、シフト勤務の私にとってはヨガに通い詰めるということは選択肢として思い浮かばず(夜遊びは毎日したのに苦笑)、「自分のペースを保つ」ことを優先して変わらずマイアーユルヴェーダを継続し、ヨガはその哲学を読み解いて心に落とし込んだり、時々本でみたのを見様見真似して瞑想や呼吸法をやってみたりもしました。
初めてヨガの本を見つけてそこに書かれていた言葉の数々は、当時の私とはかけ離れたものに感じられましたが、同時にどこか懐かしい、忘れかけていたものを思い出すようでもありました。
【サティヤ(正直さ)】や【サントーシャ(足るを知る)】。
あぁ、私はこの何年もの間これらを手にしないままに生きてきてしまったんだろう、と自分が何故自暴自棄に陥っていたか、何が欠如していたかを認識する機会でした。
この時、漠然と「いつかヨガを学べたらな」と思っていました。
ヨガの教えに在るように、身体と心が繋がって生きられたらどれほど素晴らしいか。
その〝統合感〟を体感してないから分からないけれど、今こうしてマイアーユルヴェーダを経て実感しつつある全体的な整った感覚や心の落ち着き、思考の明晰さ、‥のもっと先の‥とヨガのイメージに自分自身への期待を重ねていました。
私はきっと、もっと良くなれるだろうと自分自身に期待を寄せていました。
8 kg 増えた体重は元に戻り、それまで以上にエネルギーが満タンになって仕事への活力も人間関係への姿勢も大きく立て直している実感がありました。
一時はどうなるかと思った(私以上に周りが)仕事も、何とか昇進の機会を経て新たなスタートを切りました。
この頃から、食生活も自暴自棄の内容とは大きく変わって、お菓子やジャンクフードを減らしてお昼ご飯をまともに食べる、夕方以降は食べないで夜散歩、が定着していたので自然と安定した体形になりました。
温かい飲み物を飲むようにしたり、ゆっくり味わって食べること、チョコレートを持ち歩くのもこの頃からやめました。
前ほどは暴飲暴食していない、食べるものも少し変わって、間食は減った、くらいでした。
休日はパンケーキやアイスを食べたり、白砂糖や酵母パンなどまだまだアグニには嬉しくない食べ物も食べていましたが、比較的心身のバランスは良い方だったような。
しかしまだ便秘は完全には改善されておらず、冷え性もあり、腰痛があって定期的にマッサージへいくのが習慣としてありました。
ヨガの良さは知っているし、身体と心のバランスって大事。
と、心にヨガを置いてヨガ哲学やその他の思考の整理術を実践しながらバランスをまずまず取るも、食事の内容そのものはまだ改善の余地がある状況でした。
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マイアーユルヴェーダ期間を経て約 4 年。
20 – 21 歳で未病がピークにあった私も、もうじき25 歳でした。
実を言うとパートナーとの出逢いも 2011 年で、当時はあらゆる意味で何もかもが「再構築」を要する時期でした。未病のピークに陥ってマイナスから出直そうと決めた直後、マイアーユルヴェーダの実践は私にとって大切な基盤でした。
時間の使い方を変えて習慣を少しずつ変えて、一人で過ごす中で観察したり書き留めたりする時間を多く持ったことで、意図が明確になっていって少しずつ仕事も人間関係も中身のあるものになっていきました。
マイアーユルヴェーダを始めてから 3 年後、2014 年に彼とのお付き合いも始まったのでした。
仕事では、当時本店とされる店舗でのマネジメント職に就くことになったり、大変なことも多かったけれど自分なりにまともに働いて、従業員の皆と一丸となって目標に向かうこと、そして全員が一歩ずつ成長していく姿がやりがいでした。
左・一大イベントの忘年会でベストドレッサー賞をとれたとき
右・出勤日の休憩中にお誕生日祝いをもらって喜ぶ私
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~ 200時間のヨガカリキュラム ~
「人として生きること」の真髄アパレル業界で働き出してから約 9 年、ファッションが好きで聞かざることを楽しんで、そのなかで社会を学んだ日々から、次に自分が進みたい先が見えた時期でした。
心身の不調がピークに達したことでマイアーユルヴェーダ期間が始まりヨガを知り、いつかヨガを、と漠然と思っていたころから 4 年が経っていました。
アパレル業界から一転、人材業界でのOLとして働くことになり、シフト制の勤務から土日祝休み、9 – 18 時の定時勤務に変わって、生活様式も大きく変わりました。
社会人としてはアパレルでの経験しかなく、パソコン業務やオフィスカジュアルの服装。
会社に男女がどちらも同じくらい居る、などすべてが新鮮でしたが、新しい経験を毎日することと、人と接するという点はこれまでと通じていて、多くの事を学びながらも充実した日々を過ごせていました。
土日祝休みなら、前からいつか、と望んでいたヨガへも通えたりできるかな、と思っていました。
が、実際にはそんなキャパなどなく、平日は通勤ラッシュを避けての勤務のためほぼ始発で出社し、遅い日は 23 時近くに帰宅、ということもあったので休日はゆっくりランチしたり映画観たりで過ごすのが定番になり、ヨガの学びは当分お預けでした。
社内での新しい業務内容にも慣れてきた頃、マイアーユルヴェーダを続けてきたことで自己管理と仕事とが繋がり合っていることをより実感する機会が増えました。
私は中卒で頭も良くなく数学もITリテラシーも著しく弱い。アパレル業界での経験は 9 年あってもここで求められる経験値はまた違ったものでした。
そんな自分が一歩ずつ最善の結果を出せる状態になるためには、業務スキルと等しく心身のバランスがとれていること = 安定したパフォーマンスも大切でした。
転職をアシストするポジションとしては、直感が冴えていて相手の話を傾聴できて察する能力、マッチングに導くセンスが必要でした。
マイアーユルヴェーダの延長で、昼食はなるべく一人で外の公園で、バランスの良さそうな和食屋さんのお弁当を買って食べ、本を読んだりしてゆったり休息することを習慣にしていました。
個人客との面談は通常、1 日に 3 , 4 人前後。
それよりも多い日もしばしばで、ひっきりなしに面談を続け、合間で作業を行うという流れが定番でした。
初めこそそのようなスケジュール感で日々こなしていたものの、あるとき自分はこのやり方じゃないな、と感じたのでした。
自分が今以上の成果を出すには、自分にとっての最善のやり方でかつ着実にやっていく必要があると分かって、以来、上長とも話し合いのもと理解をもらって 1 日に 1 ~ 2 人、多くても 3 人程の面談に切り替えました。
ピッタなマインドの私にとってはむやみに数とスピードを課すより、一点集中型で精度を高めて取り組む方が、平均して高い成果が出ると感じました。
自らのキャパ内でコンディションを最大限に保ち、そのなかでベストパフォーマンスをする、
私はこのことにコミットするようになりました。
朝は就業 2 時間前から始業しているためすべてが前倒しに進んで、当然ながら結果も前倒しについてくるようになりました。
夕方以降は帰って食事して、早々に就寝しまた翌朝ほぼ始発で出発する。
そのため退社は定時がマストになり、残業が当然だった環境下では不思議な目で見られることもありましたが、今思えばこの頃すでにマイアーユルヴェーダの延長線上で時間の管理と自己管理とが強固していたのだと思います。
しかしやはり会社という組織に属している以上は、自分のやり方だけで進み続けれるはずもありませんでした。
長年かけてキャリアを築いていったわけでもなく役職について組織形態を変更するほどの利権もなかったため、時々また自分のこだわりには反するタスク感で業務に取り組む必要がありました。
完璧主義で我儘で、柔軟性がないといえばそれまでで、自分のペース、相手との信頼関係の構築において自分が誠実でない対応を取っていると感じてしまったとき、大切な何かが崩れ、埋もれていくような感覚に陥りました。
私は、何をやっているんだろう?
何ができているんだろう?
漠然とした焦燥感が大きくなって、それでも自分の気持ちを咀嚼できないままに抑えながら、成果を追わねば、と楽しくやりがいがあるはずの仕事を、ムリに頑張ろうとする自分が居ました。
受け入れることと受け流すことと手放すこと。
これらのバランスが保てなくなった私は呼吸がうまくできなくなって、あるとき過呼吸のような状態になりました。
20 歳の頃の大きくバランスを崩した自分のこともトラウマにもなっていて、心身のバランスやパフォーマンスにこだわるあまり、結果としてバランスをまた乱してしまったのでした。
そんななか、「大事なことを大事にできる自分でありたい」という思いが日に日に増していき、その答えが何だかは分からなかったけれど、「ヨガを学びに行こう」と思い立って会社を辞めることにしました。
逃げかもしれないし、そうではないかもしれない。
今は分からないけれど、今のままでも出口が見つからない。
きっと今の自分はそこで長く適応できそうにはない、自分がどう生きていくべきか、大事なこと〝人として生きる〟を大事にするにはどうしたら良いのかと、漠然とその手立てをヨガに求めたのでした。
学ぶなら体ごと飛び込んで集中して学びたい、と「ヨガ 留学 海外」と検索したところドンピシャで学びたい!と思うカリキュラムを見つけて申込み完了までに 30 分とかからなかったのを覚えています。
渡米日までは約半年以上ありました。
「大事なことを大事にできる自分でありたい」と日々思ったのは、第一に自分自身に対する想いでもあって、自分が元気で健康のうえで仕事ができることはとても幸せだし、相手のことを受け取れる、相手のためになれることにもそれは必須だと20歳の頃に経験してから、中途半端な状態で何か提供したり、自分自身が納得のいっていないことをそのまま相手へ渡してしまうのは、どうやっても良しとは思えませんでした。
心が研ぎ澄まされて踊るようなコンディションで、
泥臭いことへ潜るならとことん潜り切って。
そんな風にして自分自身を最大限に使って仕事がしたい、生きていきたい、と貪欲だったのかもしれません。
自分にできることで相手の役に立ちたい、
そのめに、それが出来る自分で在りたい、と過去の失態を取り戻すかのように当時の私はとてもエネルギーに満ちていたと思います。
会社員という枠の中で学べたこともやりがいもとても多く見つけられましたが、今一度、自分の身体と精神とを一から鍛え直して、どうするかはその後でまた考えよう!くらいの感覚でヨガ留学への道を選びました。
マイアーユルヴェーダでヨガと出逢ったときに感じた、【サティヤ(正直さ)】や【サントーシャ(足るを知る)】。
これらが自分のなかで改めて根付いたとき、どんな人生が展開するだろう、と自分自身への期待もありました。
これ以上はないというほど不調和を経験したからこそ、これからはもう良くなるだけ、と人生への可能性を当時は自分へ抱いていた部分もあって、本質的に言えばすべてが調和に近しかった 7 – 8 歳頃の自分、ただの自分に回帰していくことを望んでいたのかもしれません。・渡米前に、推薦図書に指定されていたアーユルヴェーダの本を読んでいました。
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2016 年 9 月 6 日 火曜日
全米ヨガアライアンス認定RYT200 in Hale Puleハワイカウアイ島
そこで味わった日々は、「人として生きること」でした。
このカリキュラムを選んだ理由は、ヨガだけでなく暮らし全体で調和を実践し食事もアーユルヴェティックなものが提供されるなど、総体的な観点から内容が構成されていると感じたからでした。
カリキュラムの指導者マイラは、私たちと同じように若い頃はビジネスマンとしてバリバリに働いていて、その後リウマチを患ったのを機に30 歳頃からヨガとアーユルヴェーダの暮らしに目覚め、病の回復とそれ以上の健康と至福とを手にして、一人のプラクティショナーとして生きていました。
マイラと初めて会ったとき、なんだか家族のような、親のような、友人のようなフィーリングがありました。
一ヶ月という限られた時間のなか私は時間という概念を外し、すべての経験を見て、感じて、行動をすることを心に留めていました。
気づきというと簡単な言葉に成りますが、本当に気づきがずっと起きているような状態で、
「人として生きること」が 24 時間寝ても覚めても自分の内側で呼応し続けていました。
身体の変化と心の開放が同時ないしは交互に起きていき、内側の奥底へしまっていた様々な感情が流れ出したり、凝り固まっていた考えに対して Yes , を出してその次に許容し手放す、そんな手立ても得られました。
今までも少しずつリリースしてきたつもりでしたが、もっと奥の方、見えないところへ追いやっていた数々の残像がここで浮き彫りになっていきました。
それらを見てみぬふりを続けたという意味で、私はずっと緊張状態に生きてきたのかもしれない、そんなことに気づかされる日々でした。
アーユルヴェティックな食事が提供され続けたことで、ヨガアサナとの相乗効果で肉体的な快適さはどんどん増していきました。
食後、いつもなら眠たかったはずが、ここでは穏やかな心地よさを感じられて、午後の講義でも目・頭がしっかりと冴えていました。
毎朝 4 : 15 起床だというのに寝起きから思考がクリアでいて、毎朝背面にあった強張りなんかも日に日に緩和されていきました。
身体がラクで思考も心もクリアで居ると、自分として生まれてきて、良かったな、と改めて感じれる瞬間が増えました。自分を生きるって、面白い。歓びが、いつも出てくる。
哀しみや戸惑いを見ても、それにのまれない。
>>ヨガ留学における詳しい内容はHP内【ヨガ留学】へ記載しています。<<
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匠マイラが日々知らせてくれていたのは、総体的に人生を経験し、生きることでした。
ヨガアサナのカリキュラムもとても微細で静的に行われました。毎日の決まった時間の食事も、静かに食べること、よく噛んで食事を楽しむことを教えてもらいました。
食後は寝転がらずに散歩をして、毎日の修養を新しい目で見て取り組むこと、そう導いてくれました。
生きることって本当に尊いし奇跡の連続なんだとこの期間で身に沁みて感じて、細胞レベルに刻まれた数々の教えと原則について、私は今後もこれを続けていく = 人として生きていこうと思いました。
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~ 身体と心が機能し始める日々 ~
一ヶ月間のヨガ・アーユルヴェティックな暮らしを経て内から目覚めた変容の第一歩
この滞在期間を経験したことで、自分の体がどのように機能しているかと滞る原因の根本が見えてきました。
食事と暮らしとヨガの連結は、身体の自由度だけでなく精神的な柔軟性を築くと実感し、これが人生で反映されたとき、「大事なことを大事にできる自分でありたい」と願った先が照らし出されると直感的に感じました。
まずは、人としてただ生きること。
受講を決めたヨガカリキュラムは、Hale Pule(ハレプレ)という、全米ヨガアライアンスからの認定を受ける「ヨガとアーユルヴェーダの指導・実践・提供を行う施設」で、指導者マイラ・リューインと主にアシスタントであるケルシーによってヨガアサナ(ラージャ・ヨガ)の指導やアーユルヴェティックな食事や浄化法の提供、WSやリトリート等が運営されています。
魅力的なのは、Hale Pule というチームそのものがアーユルヴェティックな暮らしに根付いて生きていて、そのなかで癒しや活力のためのサポートをしてくれるということ。
毎日のルーチンは、そもそもの彼女たちがそのように暮らしているからであって、ディナチャリヤ(アーユルヴェーダ的 1 日のスケジュール)が自然と行われているので、受講者は委ねるようにして滞在できたと感じます。
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■ 滞在中のスケジュール・一日の過ごし方
・am 4 : 15 起床 歯磨き、タングスレイパー(舌の洗浄)、ネティポット(鼻の洗浄)・am 5 : 00 アグニホトラ 火の儀式でマントラとともに地球とつながる /呼吸法で体を浄化、瞑想でマインドの浄化 ・am 6 : 15 朝食 ・am 8 : 00- 11 : 00 プラクティス ・am 11 : 15 昼食 ・pm 13 : 00 – 16 : 00 プラクティス ・pm 16 : 30 夕食 ・pm 18 : 00 アグニホトラ ・pm 20 : 00 静かに過ごす時間 ・pm 20 : 30 消灯、就寝 |
以下は留学滞在中、実際にノートへ綴っていたフィーリングです。
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■ 滞在中で実感した変化(自身の健康日誌より一部抜粋)
– 初日~ 1 , 2 週間 ・初日、昼食 30分後くらいから便意が来て排便があった(中・小と分かれた便がいくつか) ・初日、就寝後夜中 0 時頃に目が覚める(緊張があったのか) ・2 日目、瞑想では前日よりもたくさんの残像が出てきて主に他人の重いを多く燃やした ・3 日目、寝起き時が滞在中で最も身体が重く感じられた ・4 日目、皮膚がもちもちしている。できていたニキビ 2 つも引っ込んだ。 ・お腹のガスっぽさはまだある。排便がありそうな感覚もある。 ・6 日目、初めて2日連続で排便があった。しかも固いのではなくてやわらかいの。 ・呼吸法時に呼吸が穏やかになめらかになっている。 – 2 , 3 週間以降 ~ |
人生を生きてきた中で最もまともに身体と心を扱い、ケアし過ごした日々。
いつも「今」に全精神を注ぐ、というとても贅沢な時間を過ごしたと思います。
帰国する頃には、当初は想ってもみなかったほどに身体が軽くかつ活力を充分に感じられました。
心の柔軟性も増して、すっかり安心に包まれたのか何かを恐れたり何かから逃避したりという強張りがすっかり鎮まっていました。
肉体的にも精神的にも、固定概念の多くが外れた、そんな体感だったかもしれません。
帰国したときは言葉の通り浦島太郎状態で、半ば呆然と、日本の都会にある社会的構造や物質的な豊かさに少し圧倒されるような想いもありました。
「まだまだ継続していきたい」匠からの教えを暮らしに取り入れていこう、続けていこうと想いました。
一ヵ月で実感した心身の変化は、今後定着させて、部分によってはカスタマイズしていく余地があると思い、
まずはそのままに継続できることから、徐々に元の暮らしのなかへ変化を取り入れていきました。
・・・ エピソード 02 . へ続きます
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ア ー ユ ル ヴ ェ ー ダ お 便 り
テキスト 目 次 一 覧
■ 00. ~ 今なら振り返ることができる ~ ~ 「超」未病で身体も心も痛かった ~ ~ 自覚のない未病について ~ ■ 01. ~ 自分の健康状態にある真実を見る ~ ~ アーユルヴェーダを知る前の、マイアーユルヴェーダ期間 ~ ~ ヨガとの出逢い ~ ~ 200時間のヨガカリキュラム ~ ~ 身体と心が機能し始める日々 ~ ~ アーユルヴェーダライフ動画 01 . ~ ■ 02. ~ 古い習慣に呼び戻されそうになったとき ~ ~ アーユルヴェーダとヨガを本質的に機能させる ~ ~ 1 年後再びハレプレへ ~ ~ アーユルヴェーダライフ 動画 02 . ~ ■ 03. ~ 食物と食べ方と暮らし方と心の置き方 ~ ~ 定着した「自分らしく暮らすこと」の色・形 ~ ~ 原因と結果の統合から新たな変容へ ~ ~ 喜んで失敗すること ~ ~ アーユルヴェーダライフ動画 03 . ~ ■ 04. ~ 自分らしさを模る食事と暮らしの総体性 ~ ~ 選べるようになること ~ ~ パートナーとともに進む健やかさへの道のり ~ ~ アーユルヴェーダライフ動画 04 . ~ ■ 05. ~ アーユルヴェーダが教えてくれること ~ ~ 満たし合い、育み合い、愛を生きる形 ~ ~ Ananda にあるもの ~ ~ 終わりに ~ ~ アーユルヴェーダライフ動画 05 . ~ |
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エ ピ ソ ー ド 動 画 一 覧
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アーユルヴェーお便りが誕生した経緯
「アーユルヴェーダ・ヨガでどんな変化があったのですか?」
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