〝 葬りたい過去がある 〟

私たちは過ちを犯すもの。

そうは知っていても、
自分やあるいは誰かを、赦せないでいることがある。

きっと生まれながらに誰もが
〝 自由 〟を手にしているであろうはずが、

〝 我が身 〟がなにであるか、
〝 自分はなぜ生きているのか 〟を
充分に認知できなかった頃には、

不安や寂しさ、
そして怒りにまみれ、
そのことを理由や糧にして過ごすほかなかったことがある。

その矛先が現実逃避と
自己否定の過程にうまれた経験。

あまりにも無責任で
身勝手であったことは、今も知っている。

そんな自分を嫌になった頃に
ヨガやアーユルヴェーダと出逢い、
己の心や身体を一から見直し、
点検し、受容し、基盤を立て直すべく
日々の意識を費やした。

私の一個人のことですが、
皆さんはいかがですか?

そうして
きっと生まれながらに
自由を手にしているであろうはずが、

一時〝 ストイックに 〟
食事や暮らしをクリーンに
一貫性を保ちながら
心身を内側から整え直したのは、
私自身にとっての〝 償い 〟でもありました。

葬りたい過去、
赦せない ― 赦されない過去、
あらゆるものへの償いでした。

だからとプロセスに務める最中にある自分を
罰してはいませんでした。

むしろ受容と開放を与え続けたので。

そのように匠は導いてくれていたし、
過去自分を罰するやり方は経験済みでした。

私にとって受容と開放からなる償いは、
愛を生む習練でもあったのです。


実際に私は癒され、
身体や心も純度を取り戻したと思います。

去を想うことはあっても
振り返って路頭に迷うことがなくなり、
〝 今 〟に焦点が当たるのが普通になりました。

毎日を見る目、
瞬間への感じ方がまるでニュートラルになったのです。

やがてゆっくりと大きく、
日常が、人生が、
本当の意味で可動し始めました。

やりたいこととやれることのバランスが調和し、
近くに居る関係性に甘やかさが増し、
私が私自身にいることの心地よさが拡大しました。

ヨガではそれをタパス( 苦行 )というでしょう。

私にも苦行が必要だったのです、
苦行を、苦と思わないほどの苦行が。

そうして 2022 年末に
移住のアイデアが浮かんで、
1 ヶ月弱後には移住していました。

移住したことで
私の身体と心はより自由を感じることとなって、

そうした余白に覆われた頃
改めて〝 苦行を経たんだな 〟
というフィードバックとともに、

それほどに葬りたい過去があったんだもんな、
ということを思い出したのでした。

Ananda でプラクティスを受講された皆様へは話したこともあったし、話してないことも当然あります。

すべて話す必要もないと思うのは、今も変わりません。
( 聞かれれば、答えることもあるでしょうが。)

しかし例えば
ときどき人々が、
〝 アノ人は変わったひとだから 〟とか
〝 自分とは違う次元だから 〟とか
〝 あれは厳しいようにみえるから 〟
というようなフレーズを交わすのを耳にするたび
ふと思うことがありました。

「 なんでも当人にしかわかり得ないことがあって、
当人が必要に応じて選び、
決断し、行動しているだけなのだろう 」
と。

とて私自身も旧友から
「 人が違ったのかと思った 」
とか言われたっけ。

私は自分自身をネタに
アーユルヴェーダやヨガを発信していたのだから、
何かを想われることや
云われるであろうことは当然だけれど、

かくいう私だって、
イチローのようにあそこまでストイックに
スポーツに打ち込むことなど絶対できない。

何がそこまでさせるのかも、
妄想の範疇でしか分からない。

でもイチローもきっと自分なりのプロセスがあって、
彼のなかでしかわかり得ない理由や指針、
意思なんかが相まって
ああいうことになったし、
そうすることを自ら決めた( 決められた )のだと思う。

本当に、色んな次元で
色んなひとが色んな経験を積むんだ。

要は、〝 自分はどうか 〟ということだけ。

それだけが残るんだと、思います。

神さまってほんとうまいし、
人生思ったとおりに成ってるんですよね。
( そのときには分からなかったとしても )

私たちは
自分が何を幸せと感じるか、
追求することを続けていいと思う。

日々移ろいゆくすべてのことを
自分なりに心と身体で感じながら、

行動し、心を通わせて、

〝 嗚呼 幸せだなぁ 〟と
静かに感じられるような営みを、

生きているうちは
続けていくのが一番良いと思うのです。

そうすると、
どんな葬りたい過去であれ

その時には
それが起こるほかなかった

それが起こりたい出来事として在ったのは
〝 本当に求めていたもの 〟へ
〝 あがいた 〟過程だった

それを経てもなお生きること、
( 経たから生きられる )、
活きる力があとからついてくること、…

そうした過程のすべてを経験して
諦めない自分で在るため
だったんだ

と、そう思える生涯になる。


年始 2 ヶ月め、
自由と責任の〝 自覚 〟が
この土地でふんわり孵化されて、

またもう少し括られた
〝 受容と解放 〟が起きたので書き留めました。

人生は一度きりだね。


Kaori

 

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