信じるものを人生に表してゆく

四季の移ろいが
こんなにもはっきりと近くにみて感じられて

そんな日々が幸せで。

自営業というほどでもないけれど
ひとりでプラクティスとその周辺のことを始めて、
早 6 年で軽井沢へ来てからは
半分ほどが白紙になって

この 4 ヶ月ほどは
色々と手放しもあったように感じる。

それまでの道を歩まなくなったから
といって
道がなくなるわけでもなく
自分の居所からちびちびでも歩けば新しい道ができる。

すべて
すでに与えられているものを想えば
それを有難く享受しながらも、
先行く形はある程度自らの意向に傾くと思う。

求められていることと
求めることとの中間を歩むことが
創造性と遊び心を失わずに生きられる道だと知っているので、
ある程度の責任を自由と伴わせたい。

そんな最中に犠牲はあるのかというと、
実は全くそうではないのかもしれない、

と思えていることも救いで、
パートナーおしんが、
明らかに以前よりも自由に、
朗らかに、和やかに過ごしているのをみて
私は、
私なりに生きてきたことが間違いではなかったなと思う。

2011 年に出逢った際、
私は多分に彼を求めていたようで、
もうひとつの側面では
彼を癒したかったようにも想うから。

自分なんてミジンコに思えるくらい
努力を積み重ねたひとがよかったろうし、

その人を解放できたら
さぞ歓ばしいだろうと役割を感じたのかしら。


信じるものを人生に表してゆく

・・・すべては後づけの話だけれど
今によって過去のすべては完結させられる。

話は戻って、
自分の生きざまを振り撒くことで
良くも悪くも色んなことは跳ね返ってくるもので

よいカルマとして
期待や歓喜や配慮や要望が与えられる。

不意なカルマとしては
意外なところで歪んだ権威に現れたり
波動の行き違いによる摩擦が起こり得る。

だから私はどちらも経験できていて、
そういう意味で人生をまっとうしていると想う。

希望の光を進むのなら
崖を登ることも
逆流する河を泳ぐこともたまにはあるということ。

けど遠目にみたらそれは気づかない。
ただ
〝 光を浴びて進んでいる 〟ように見えるから。

仕組みづくりと
その運用にゼロからひとり携わることで
足場を固めながらも足取りを軽やかに保つこと、
そして手を動かしながら
目線も絶やさないことを學べたので、

「 自分がなにをしているか 」
の認識は常に
120 %満たしてこれたんだと思います。

なので、
これからの私は、
これからの私がすること
─ 表現することは何であれ
私自身の正解なのだろうとも思えるのです。

本を書くこと、
いよいよグワンと推し進めたいです。

軽井沢からお届けできること、
いよいよ楽しみを共有したいです。

( 来月以降は来客も増えるので楽しみです )

歌 文字 言葉
それにまつわる写真や映像は
ひとつの洞察、
ひとつの経過、
ひとつの事象、
ひとつの生命であると感じ信じます。





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