健康とは何か。
肉体的心地良さと精神的心地良さは、如何にして実感するか。
私たちは誰もが
自分は価値ある存在だと信じたい生き物で、
ゆえに自分には価値がないと感じれば
強く失望して力をなくします。
〝 価値あるもの 〟をみれば歪んだ捉え方をして閉鎖的で自滅的な態度をもってそれを表したりします。
アーユルヴェーダでいえば、
「 本来誰もがサットヴァ( 光 )の存在なはずがグナの作用とその作用・原則によって激的なラジャスに見舞われたりタマスの暗闇に葬られた場合に、立ち位置そのものが不明瞭にり生き心地を失う 」というわけです。
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自らが価値ある存在と信じたい
( その感覚に立ち戻りたい )
私たちにとって、
そうした感覚を再生・維持するならば後天的動作のすべてが意味を成すし、
先天的にそう信じ( 在 )るままに進めるとすれば
それは〝 親 〟などの幼少期に近しかった存在によって〝 そのように 〟接されたことに由来するでしょう。
・大切なあなたに触れるわね
・大切なあなたを大切にするわね
という、母親ないしは父親等からの
〝 微細な接触 〟は
自分自身を価値ある存在だと信じ込める最も直接的な要因になります。
それは温かくやわらかさがあって、
安堵感とともに〝 生きられる 〟フィーリングです。
その際の親のエネルギーも無論重要で、
アーユルヴェーダ・ヨガの匠マイラは
[ 子どもと子どものためのアーユルヴェーダ ]の講義内で
「 1 歳頃までの赤ちゃんの不調は、赤ちゃんではなくて母の治療を施す 」と話しました。
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「 アーユルヴェーダを学んだ、その先に 」
Ananda Interview Voi , 1
ずっと、さおりさんに Ananda からのインタビューをしたいとその機会を待っていました。
アーユルヴェーダを知ったキッカケから、さおりさん自身が健康・未病・性教育について考え実践するようになった理由等を伺いました。
そのプロセスのなかで Ananda のプラクティスを受講いただいたこととその背景についても。
さおりさんからのお話には、日常の些細な感度( 肉体と精神 )から人生の全体への影響が感じ取れる節が様々込められています。
勿論、女性に限らずそのパートナーである男性やお子様( 近くにいる子ども )にも知っていてほしい大切なメッセージがそこにはありました。
さおりさんへのインタビュー全編を Ananda に公開していますので、これを機に是非ご覧ください。
( 長いので、お時間赦すときに。)
Ananda Interview _ Vol , 1
Saori さん | ほほえみー
* YouTube で再生可能です ◇ Interview 一部レジュメ … 「 アーユルヴェーダを知ったキッカケ 」 「 Ananda の印象は?」 「 ― 料理を教えてもらうだけじゃないなと思った 」 「 私の今までの〝 30 分 〟は何だったんだろう? 」 「 病気を治す 」→「 病気にならない身体をつくる 」 「 ― これからの一生のなかでも 「 現在の〝 ほほえみー 〟の活動に至るまで」 「 目指すところは、網の目となって 」 「 我が子だけじゃなく 「 難しいんだ、でも愉しいんだ 」 etc … |
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2020 年秋
Ayurveda Holistic 基礎講座を修了された
Saori さん。
〝 人間として変わらないために変わり続ける 〟
そんなヴィジョンの持ち主であるだろう、
と私が勝手に想っているのが
さおりさんとその場〝 ほほえみー 〟です。
Ananda での
お料理教室・基礎講座等のプラクティスで
実際に得た学び・体感についてお話くださいました。
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「 さぁ、愉しもう!」
なんでも〝 愉しくやる 〟って大事なんだけど、
愉しくやるってったって
別にいつ何時も〝 ルンルンで♪ 〟みたいなことではない。
一つ一つとただ丁寧に向き合って、
複雑だったり難しいであろうことへも
ヒョイと飛び乗ってみて
そこで面白がったり、様子をみたりして。
あらゆることを自分のペースで
自分らしくマスターするのが〝 愉しくやる 〟だと私は思う。
で、それをそうやって体現しているのが
さおりさんだと思っていて、
さおりさんを見ていると「 うーむ 」となるのです。
Ananda は、個人規模の健康、
内なる歓びに回帰する機会をプラクティスに反映していますが、
さおりさんは、
自らの意思でその通り道を歩んで学び、
自らの意思でその先にあるものを創り始めています。
先に話した〝 触れる 〟ことが
いかに私たち ― 子ども ― 大人にとって
直接的体験として人生を形成しているかの〝 性教育 〟。
さおりさんの経験や想いをもってして、
インタビューのなかでもたくさん愉しく話してくださいました。
( 途中私がおやつを食べ始めますが悪しからず… )
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学びはその根として
無数の実が宿る樹になる
アーユルヴェーダを通じて出逢える有益性は
その人自身が何を ― どう - 解消・改善・克服 - して
そこ、や、その先に向かうか、というところにあります。
アーユルヴェーダは、
学んだら必ず「 その先 」があります。
( でもそのことに期待したいことが肝心 )
私は私にとってのアーユルヴェーダしか知り得ませんが、
アーユルヴェーダが誰かにとってどう成り得るか、や
その先でどんな創造・生命が展開するかに関心を抱いています。
情報や知識はそこら中にありますが
「 どう扱えるか 」はその人自身によって編み出されるものです。
それこそが
「 今 」この現状に必要なものであったり、
「 新しい流れ 」への繋ぎ目となって、
巡り巡って私たち全体の前進・進化となります。
小さくても、その価値はあるだろうと信じています。
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アーユルヴェーダ省察プラクティショナー
K a o r i
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