・
「頭で思っていること」と「心で感じること」
双方に不一致がなく、日々自分自身に安堵感や正直さを抱いて生きると、体もその通り、矛盾のない健康な状態を築いていくことができます
「本当は良くないと思っているけれど・・・」
という、認識と行為とが食い違っているときや
恐怖心や怒りを覆い隠すようにしてそれを選んでいるとき、体と心は一致しないので、未消化物を形成し蓄積を始めます
・
習慣は
ほんの“偶然”に過ぎない
健康とは、日々の積み重ねです
不健康もまた、日々の積み重ねによる結果です
アーユルヴェーダの智慧を紐解き、生活に組み込むことを許容していくということは
=古い習慣を手放し、同時に新しい習慣を許可することです
この過程で、多くの場合「悪い習慣」と「良い習慣」との転換を経験することになります
特に、本当の健康状態を経験したことがない時点では、
これを“未知なるものだし、怖いし、うまくいくか分からないし”と、途中でUターンしてしまう人も多くいます
が、これまでのやり方に戻っては同じ結果しか待っていません、と私の匠は教えてくれました
“変化したいのであれば、せめてここにいるときくらいは意識的でいてください”と、彼女は云いました
実際のところ、私たちの慣れ親しんだ習慣とは
“偶然”に創り上げられたもののほか、何でもないのだと思います
生まれた環境と育った環境、
その矢先に用意されたものを
ほぼ受動的に飲み込み、そこからうまれた“一種の対策”がそのまま習慣として芽生え、根付いていきます
・嫌なことがあったら甘いお菓子を大量に食べる
・お酒を飲んで気持ちよくなってからでないと眠れない
・ジャンクなものでお腹を満たして心も満たされた気になる
・際限ない性行為によって快楽に溺れる
・・・これらは世間ではよくあるごく一般的な対処法ですが、
私たちの「本来の姿」から引き離し、分離を助長し歪ませると匠は云います
一瞬の快楽のほか、そのあとに待っているのは
・虚無感
・体重と浮腫み
・疲労感、重だるさ
・他のことへのさらなる衝動
などです
これが続くとラジャスとタマスの繰り返しを生き、私たちは自分の人生に根差し取り組み、真の幸福感を受亭する機会を逃します
ですので、不調や病を経験し、健康を取り戻したいというときは、
“偶然”のなかで芽生えた自分の習慣について改めて見直し、手放す代わりに良い習慣を実践すべきとアーユルヴェーダの古典でもそのように記されています
・
変換の始まり
私自身、人生25年間をほぼ“無意識”に過ごし、欲求と自我と支配欲によって突き動かされるように毎日を生きていたのだと自覚するきっかけが過去にありました(当時の経験から得た学びもあります、と言えるのは今でこそ)
ヨガ留学の際、一か月間毎日の4時起き8時半就寝、白砂糖のおやつなし、アルコールなし、TVも映画も音楽もなし、SNSもほか誰かとの連絡もほぼなし、…大した覚悟も持たないままそんな生活に身を投じたとき、私は“ハッ”としたのでした
自分がこれまでいかに様々なことに期待を抱き、結果に執着し、快楽に依存し生きていたかに気づかされました
カリキュラム冒頭、一週間目の時点で私は内心一種の挫折感を味わいました
挫折感の正体は3年近く経って最近やっと気づきましたが、それは「この学びには到達地点がないんだ」と分かったときに抱いた“喪失感”のようなものでした
それまでは、何でも「達成」のため意欲をそこへ注ぎ身を捧げる仕組みのなかで生きてきた人間が、初めて“無償の努力”を突き付けられた感覚でした
評価も報酬もなし、ただ自分の魂とつながる、そのために心も体も毎瞬意識的に統合しそれでいて安定してそこにずっと座っていなさい、とヨガの示す教えが、当時の私には無謀すぎたのでした
今もなお発展の途上にありますが、初めこそ無謀だとか喪失感に襲われたヨガやアーユルヴェーダの実践も、「必要なこと」として大事に愛でていきたいという思いは変わらず、今後も人生で様々な生きる知恵としてそれが役立つだろうと思っています
もちろん、完全なヨギへは到底及ばないものの、
日々の暮らしを整え、体と心をつなげ、内に起こる歓びを亭受する、という点では確かに、以前の自分よりもそれが安易になったのを実感しているのです
お酒をやめて3年目、毎日の自炊と早寝早起き、少しのヨガ、娯楽もほどほどに、甘いお菓子は自宅にストックしない、・・・等々、これだけでも自分が“シラフ”で人生を楽しんでいることが素直にうれしいです
生理前に荒れ狂うように激怒することも、情緒不安定になって落ち込むことも、動くのがしんどいこともなくなりました
生きることの歓びを感じれる瞬間が増えた、そういう所感で今います
・
悪習と良習の変換
慣れているものを抜くと反応が出る
“何かを抜くと反応が出ます”
アーユルヴェーダとヨガの匠はそのように言っていました
一か月間のヨガ留学中、生徒である私たちはそれまでの生活にあったほぼすべての娯楽、悪習を絶たれていました
好転反応として皆それぞれがあらゆる“反応”を示していたのを記憶しています
私たちが経たれた“いつもの習慣”は、ざっと思い浮かぶだけでも以下が挙げられます
・iPodで音楽を聴き続ける
・スマートフォンの画面をのぞき続ける
・朝のコーヒーから一日をスタートさせる
・だらだら食い、過食と拒食、おやつ等の習慣
・毎晩のお酒、夜更かし
・味の濃い食事、新鮮でないすべの食物
・二度寝、不規則な起床&就寝時間
・~ながらの行動、言動
では、それを抜いたらどうなったかと言えば、人にもよりますがネガティブな反応としては
・寝つきが悪くなる、全く眠れない
・顔色が悪くなる
・肌荒れが始まる
・喪失感にさいなまれる
・泣く
などがあったと思います
ですがいずれも体にとって必要なリアクションであって、心身が浄化を伴いもとのバランスに戻ろうとしている過程であると匠は云いました
もちろんポジティブな反応もたくさんあって、
・ずっと便秘だったのに排泄がスムーズになった
・浮腫みがとれて体が引き締まった
・肌がきれいになった
・痩せた
・心がそわそわしなくなった、落ち着いてきた
・感謝の気持ちが沸き起こりやすくなった
などが挙げられていました
私も同じことをたくさん体感しました
甘味(人工的な)が経たれた後、滋養溢れる「マフィン」がランチで出されたときには、それを食べながら涙を流したほどでした
鈍り、硬直していた様々な感情が流れ出た瞬間でした
日本にいて、コンビニでパパっと買えて食べていたスナック菓子を食べていたときでは感じたことのない温かさ、感謝の念が目を覚ましたようでした
・
習慣の変容によって
身体と心を真にケアする
私たちの健康や心の健やかさは、“一時的な何か”ではかなえることができません
肉体、五感、精神は、正しく扱われたときに初めて素晴らしい“音色”を奏でます
それらが故障したままでは、何を入れても得られる滋養はごくわずかです
土台が安定し、強く、みずみずしさを補えば、そこから湧き出る生命力ももっと純質なものになるでしょう
アーユルヴェーダの聖典では
悪い習慣は徐々に取り除き、
その代わりに良い習慣を徐々に取り入れなさい
といいます
なんでもゆっくりやるのが大切なのです
私個人の経験では一か月間のヨガ留学での体験ですが、そこでは“急激”に実践も変容も伴いました
だからこそ、“この後、しみ込ませていくことが肝心です”と恩師が云っていたように、私自身もその必要性を強く感じました
それで、今の生活に至ります
皆さんのうちに、自分の健やかさを取り戻したいとお考えを強くお持ちの方がいれば、私はこの実践を心から応援したいと思います
そのためにここでのブログ記事や主宰しているプラクティスをぜひ役立ててください
リクエストがあれば、どんどんお声をかけてください
健やかな肉体と精神を築くためにAnanda へ訪れてくださる皆さまの中でも、これまで様々な変容をご実感されたお声がありました
自炊経験もほとんどなくほとんど毎日お酒とおつまみをセットに暮らしていた方が鍋一式を揃えて自炊中心の生活になり、今では自分でギーを作るようになったり、
季節ごとの暮らし方や食事法を実践していったら頻繁に感じる不調や疲労感がスッとラクになっていったり、
旬の食材を使ったシンプルなアーユルヴェーダ料理を食卓に取り入れるようになって以来、家族が食への興味を増し、できたてのあたたかい食事を食べるために早くに帰宅することが増えたとか、…
些細なことばかりですが、どれも“本来の自分”と 周りとの健やかな関係性の構築の現れであると思います
自然由来のことを日常に許可する、
頑張りすぎていた自分とのかかわり方を変える、
このことから一歩一歩 習慣は変わり、毎日が、人生が変容していくと思います
アーユルヴェーダ省察プラクティショナー
k a o r i